AIは人に何をもたらすのか。お互いの関係やあるべき姿に思いを巡らせてみた

みなさん、こんにちは。秋吉 健(あきよし たけし)と申します。これまで「あるかでぃあ」のペンネームで本媒体へ寄稿しておりましたが、そろそろ本名で仕事をしてみようかと表記を改めることとなりました。以後、宜しくお願い致します。

さて、かしこまった挨拶はこのくらいにしまして。突然始まった謎の連載企画ですが、まずはその連載に至る経緯や本連載のタイトル「Arcaic Singularity」に込めた想いなどを簡単にお話しておきたいと思います。

ここ数年モバイル関連やIT関連のメディア界隈では、AI技術の発達とともに「Technological Singularity(技術的特異点、単に「シンギュラリティー」とも呼ばれる)」などという言葉を度々見かけるようになりました。

この「技術的特異点」については後述するとして、筆者にはそのような大層な技術の裏側を語れるほどの知識も見識もなく、いつも無知なままに最新のテクノロジーに触れてきました。

そんな筆者であるだけに「Arcaic(古拙な)」の言葉が指すような人の感性の原点的なところから、テクノロジーが持つ美しさや素晴らしさを探ってみたり、道具本来の存在意義のようなものを考察してみてはどうだろうかと思い至った次第です。

また「原初」や「古風」といった意味も含む「Arcaic」と、物事の最終到達点、終着点を意味する「Singularity」を並べ、筆者のような古臭い感性を持つ人間の視点で遥か遠くの未来を俯瞰している、という雰囲気を表現したかったというのもあります。

それでは、最初のArcaic Singularityの旅にご招待しましょう。今回はコラムタイトルを発想した原点でもある「AI」について考えてみたいと思います。

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感性の原点を見つめれば、テクノロジーの特異点が見えてくる……かもしれない


■AIへの誤解
はじめに、冒頭で軽く触れた「技術的特異点」について考えてみます。これは一般的には「AIが人間を超える瞬間」といったようなざっくりとした感覚で理解されがちですが、実際は少し意味合いが異なります。

技術的特異点についての論者、レイ・カーツワイルやヴァーナー・ヴィンジの論に沿うなら、AIが人間を超えるのではなく「AIによって人間が人間自身の限界を超越する瞬間」を指した言葉であり、AIとは「人間を進化させる手段、もしくは道具である」という前提があるのです。ですから、そのためにAIが人間を超える能力を持つように定義されるのは当然であり、現代の人々が自動車によって人間の限界を超えた速度で移動できることと基本的な概念は何も変わりません。自動車が人間を支配することなどあり得ないように、AIが人間を支配することもまたあり得ないだろうというのが筆者の考えです。

とはいえ、映画「2001年宇宙の旅」のようなAIによる叛乱や、映画「ターミネーター」のようなAIによる人類抹殺の可能性などについてここで論じるつもりはありません。今回テーマとするのは「AIはどこまで人間の役に立つのか、もしくは人間を進化させられるのか」という点です。もちろん筆者はモバイル系フリーライターを自称する身なので、現実に即した視点からつらつらと書き綴りたいと思います。

■スマートスピーカーは「AI」なのか
2017年に入り、デジタルガジェット界隈ではにわかに「スマートスピーカー」なるものが登場してきました。技術的には人の音声を入力し、そのデータをクラウド上もしくは端末内で解析した結果を音声で出力するという非常にシンプルな仕組みです。現在はGoogleの「Google Home」やAmazonの「Amazon Echo」、LINEの「LINE Clova WAVE」などが日本国内で流通しており、他にもソニーやAppleも同様の製品の発売を予定しています。

結論から書いてしまえば、筆者はこれらのスマートスピーカーにAI的な何かを感じたことは一度もありませんし、そこに先進性を感じたことも殆どありません。乱暴な言い方をしてしまえば、手元にあるスマートフォンでできることを据え置きの安価なデバイスに置き換えただけのことです。メーカーや製品によってはテレビのリモコン代わりになったり室内照明のON/OFFができるなどの特徴を備えていますが、それらがAIなのか?と言われると疑問符が付きます。

しかし「スマートスピーカーって便利なの?」と聞かれたなら、筆者は「便利ですよ」と即答するでしょう。今はまだ音声による道具の操作という「作法」に人々は慣れていませんが、一度慣れてしまえば絶対に便利な使い方ができると確信しています。筆者はオンラインゲームが大好きで毎日遊んでいますが、そこで使うボイスチャットは一度慣れてしまえばキーボード入力によるテキストチャットがバカバカしくなるほどに便利で、圧倒的に素早くチャット相手に意思や情報を伝えられます。同じように、スマートスピーカーにも得意な分野があるはずなのです。

ただのテレビのリモコン代わりでは便利さは実感できないかもしれませんが、目的もなく新しい音楽を聞きたい時、適当に何かを見つけたい時に「ねぇ◯◯、何かノリの良い音楽をかけて」と頼めば、即座に聴いたこともない新しい世界を提供してくれるのです。それはスマホをポチポチといじって新しい曲を検索するよりも、きっと速くて簡単です。

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スマートスピーカーには「AIらしさ」はないが便利な「道具」だ


話を戻しましょう。その新しい曲を適当に探すという行動は、AI(人工知能)と呼べるでしょうか。恐らく違うでしょう。機械学習とそのための手法であるディープラーニングによる、いわば「条件反射」でしかありません。収集された膨大なデータを分類・解析し、人が音声によって入力した内容に沿う条件のデータを出力する。その作業があまりにも大規模であるが故に、まるでコンピュータが何かを発想しているかのように見えているに過ぎません。

もしかしたら、そういった膨大な条件反射の集合体こそが人工知能なのかもしれませんが、今のところスマートスピーカーがこちらの様子を察して、何も尋ねていないのに「たまには気分を変えてこんな曲はいかがですか?」と自発的に何かを提案してくる様子はありません。個人的に、そういった「提案」ができるようになって初めて「AI」としての片鱗が見えてくるのではないかと考えるのです。ちなみに、そのような提案をするアプリケーションやシステムは実際に生まれつつあることを後述します。

■「提案」こそが進化の鍵だ
AIを定義する上で、筆者がなぜ「提案」を重視するのかについて記しておきます。先程筆者は技術的特異点についての解説で「AIが人間を超えるのではなく『AIによって人間が人間自身の限界を超越する瞬間』を指した言葉であり、AIとは『人間を進化させる手段、もしくは道具である』という前提がある」と述べました。そしてまた「そのためにAIが人間を超える能力を持つように定義されるのは当然」とも述べました。

人間が道具を使うだけであれば技術的特異点に到達することはありません。なぜならその人の発想の範囲内でしか行動していないからです。自動車の運転者が技術的特異点に到達した(もしくは近づいた)などと誰も考えないのと同じです。「ノリの良い音楽を聴きたい」という欲求や発想は人間側から出てきたものであり、スマートスピーカーはそれに応えただけです。

しかしもしここで、スマートスピーカーが「今日は気持ちのよい天気ですね。音楽と一緒に大好きなドライブはいかがですか?ここからクルマで20分ほどの公園でイベントもやっているようです」と出かける提案をしてくれたらどうでしょう。人は「音楽を聞きたい」という欲求とは別の発想や視点にアクセスするきっかけを得ることができるのです。これこそが「自分を超える」ということのスタート地点ではないでしょうか。

この体験は別に珍しいことではありません。人が誰かと出会う時、自分の知らない世界を知ることがあります。触れたこともないものを体験することもあります。これらは他人という「自分以外の知性」が情報や発想を運んできてくれたからであり、そうして人は自分を大きく成長させ、磨き、知識を受け継いで文明を進化・発展させてきたのです。人の行動原理そのものだと言っても良いでしょう。逆に言えば、何も提案・発信してこない人間と接していても成長はないのです。

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自発的な行動によって人の感性に何かしらのヒントや衝動を与える、という意味では、喋ることのないソニーのaiboシリーズは立派にAIとしての役割を果たしていると言える


■AIによって人は進化する
世間一般ではテレビや新聞など大手メディアによる表現の先行もあり、今年の流行語大賞にノミネートされたようにスマートスピーカーではなく「AIスピーカー」といった言葉が主流になりそうな勢いです。世界的に見てもスマートスピーカーのことをAIスピーカーなどと呼んでいる国は稀であり、その語感から想像される期待値と実際のスマートスピーカーでできることとの落差から、「なんだ、AIなんて言っても大したことないな」と思われてしまうのではないかと危惧する日々です。

現在のスマートスピーカーは「スマートに使える道具」ではあっても、技術的特異点への道筋を人間に開くほどのインパクトを持つAIではない、というのが筆者の見解です。何を大仰な……と思われる方も多いと思いますが、AIを名乗るのであればそれだけのインパクトを求めたいというのが、テクノロジーギークでもありその世界を外側から眺める人間としての強い想いなのです。

筆者は2016年のベストバイアイテムとして、Appleの「AirPods」を挙げました(こちらの記事参照)。AirPodsは革命的なデバイスであり、使い方から技術まで、全てが圧倒的な先進性でした。正直、かつてiPhone 3Gを手にした時以来の衝撃だったと未だに記憶しています。しかしAirPodsは人間に進化を促すまでには至っていません。もしこの先AirPodsのような耳に装着するデバイスが人間に行動や発想の「提案」を行うようになり、常に人間へアドバイスしたり相談をするようになったら世界はどう変わるでしょうか。人々は視野が大きく広がり劇的に生活の質が変化することは想像に難くありません。

インターネットの世界では、こういったAIによる提案が少しずつ現実化しています。先日もAIがWebデザインを創るというニュースにTwitter上で多くのデザイナーやイラストレーターが反応し、多くの人が仕事を奪われるという危機感を訴える中で、「AIがたくさんデザイン案を出してくれれば引き出しが増える」「AIがデザインの大半をやってくれるなら他の仕事に集中できる」「AIのデザインを叩き台にしてさらに良いものが作れる」といった前向きな意見も少なからず散見されたのが印象的でした。そしてこれこそが、AIのAIたる「役割」であると筆者は考えるのです。

■AIと人の未来に想いを寄せて
再び日本の「リアル」に目を向けてみれば、NTTドコモが2018年春から「ドコモAIエージェント」と呼ばれるアシスタントサービスの開始を予定しており、現在そのトライアル運用が行われています。NTTドコモが目指しているAIアシスタント機能こそが「提案型AI」であり、同社が長年テーマとしてきた「生活支援」「行動支援」の集大成的な取り組みです。そのチャレンジが成功するかどうかはまだ未知数ですが、単なる「ボタン操作を声に置き換えただけ」のスマートスピーカーとは一線を画すものであることは間違いありません。

筆者としては現在のAI技術はまだまだ未熟であり、これらの技術を商用サービス化するのは時期尚早なのではないかと感じる部分もあります。しかしこういったチャレンジをしなければ前進しないのもまたテクノロジーの世界なのです。いつかAIが人々の良き相談相手となり、人を新たな進化へと導く日が来ることを夢見つつ、本連載の筆始めとさせていただきます。

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AIと人との協奏が始まるのは、きっともうすぐだ


記事執筆:秋吉 健


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