21世紀の音響技術「オブジェクト・オーディオ」について考えてみた!

筆者はオーディオマニアというほどでもなく、デスクトップパソコンに入れたMP3やAACファイルの音楽を、今となっては使い道もないMDスロットを搭載した古いオンキヨーのミニコンポに繋げて楽しむ程度のライトユースですが、そんな筆者が四半世紀近くも使い続けているオーディオ機器があります。それがトップ画像のミニアンプ「QX-1」です。

これは一般的な音声出力を手軽に3Dバーチャルサラウンドに変換できるというもので、当時カプコンのアーケードゲーム筐体「Qグランダム25」などに採用していたQSound Labsの「QSound」(Qサウンド)に用いられていたアンプ部を汎用製品として販売したものです。その3D音響効果は想像以上に大きく、耳元を包み込むようなその独特の音響空間はロックであればライブ会場のように、ゲーム音楽であればその世界に立っているような錯覚さえ感じるほどです。

QX-1が発売されていた1990年代はちょっとした3D音響システムブームで、Qサウンドのほかにもローランドの「RSS」(Roland Sound Space)など、民生用の仮想立体音響システムがいくつも生まれました。5.1chや7.1chといったようなホームシアターシステムがまだまだ一般的ではなく、2つのスピーカーでも映画館のような迫力ある音響を得たいという思いから生まれた「時代の通過点」と言えます。

その後20年近くは音響機器の低価格化とコモディティ化によって5.1chや7.1chといったホームシアター環境すらも比較的安価に構築できる時代へと進み、Qサウンドのような仮想立体音響システムは歴史の陰に隠れていきますが、数年前から再び仮想的な立体音響技術が脚光を浴び始めることとなります。それが「オブジェクト・オーディオ」と呼ばれる技術です。

感性の原点からテクノロジーの特異点を俯瞰する「Arcaic Singularity」。今回は新時代の立体音響技術「オブジェクト・オーディオ」とその未来について考えます。

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音楽の「作り方」から変わるかもしれない


■オブジェクト・オーディオとは何か
はじめにオブジェクト・オーディオとは一体どのようなものでしょうか。正確には「オブジェクトベースのオーディオ技術」と表現すべきもので、例えば人の話し声や自動車の走行音、犬の鳴き声など、それぞれの音を1つのオブジェクト(物体)として個別に扱い、物体が空間内を移動するようにオブジェクト化した音を実空間内にプロットし、自由に移動させる技術のことです。

これまでの立体音響システムや他チャンネルスピーカーによるシアターシステムとの大きな違いは「音の定位データを空間上の座標に指定して持っている」という点です。これまでの音響システムはチャンネルベースであり「どこにいくつのスピーカーが配置されるのか」を考慮した録音と再生技術が求められましたが、オブジェクト・オーディオで指定されるのは「空間」であり、出力される音が「どこから聞こえてくるのか」を空間上に定義することで立体感を生み出すため、スピーカーの数や配置にとらわれない自由な機器構成が可能となるのです。

このオブジェクト・オーディオに積極的なのがドルビーです。世界の音響技術の先端を常に牽引してきた同社は2012年にオブジェクト・オーディオを採用した「ドルビーアトモス」を映画館向けに提供を開始、2014年にはドルビーアトモスによって制作された映画のBDも発売が開始されました。

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ドルビーアトモスは録音を「チャンネル」で管理しないため自由にスピーカーを配置できる


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積極的にメディア展開を行うドルビーアトモス


またTHXも独自のオブジェクト・オーディオ用プラットフォーム「THX Spatial Audio Platform」を今年2月に発表しており、モバイル向けチップセットの製造などを手掛けるQualcommと提携し、映画館や家庭、そしてモバイルシーンでも展開していくとしています。

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ドルビーの後追いとなるTHXもまた映画館を中心にオブジェクト・オーディオの普及を図る


■モバイル機器と親和性の高いオブジェクト・オーディオ
筆者がこういったオブジェクト・オーディオ技術を用いたプラットフォームに注目する理由はモバイル機器との親和性です。オブジェクト・オーディオではスピーカー数が少なくても音の座標を空間上に指定して立体感を生み出せることから、常に一定の位置での聴取が可能なヘッドホンやイヤホンの環境では音の仮想的な立体化が非常に容易です。

またスマートフォン(スマホ)やタブレット、モバイルノートといったモバイル機器本体に内蔵されたスピーカーも、それを利用する人間との距離や位置がある程度固定できるため立体音響を体感しやすい環境と言えるでしょう。

事実、2016年にはドルビーアトモスに対応したスマホとしてZTEから「AXON 7」シリーズが発売され、ノートパソコンでは2017年にファーウェイの「Matebook X」シリーズが発売されており、オブジェクト・オーディオを手掛ける企業がそれぞれのブランド戦略にモバイルシーンを想定している点は、単なる「おまけとしてのモバイル転用」や名ばかりのモバイル製品ではないことが伺えます。

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ZTE製Androidスマホ「AXON 7 mini」


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ファーウェイ製Windowsノートパソコン「HUAWEI MateBook X Pro」


■音楽に究極の自由を!
オブジェクト・オーディオの可能性とそこに掛ける期待の大きさについては、ドルビー・ジャパン社長の大沢幸弘氏がAXON 7シリーズの発表会時に登壇し「ドルビーアトモスは20数年ぶりに訪れた音響の革命です」と語っていたのを記憶しています。

20数年前と言えばまさに立体音響システムやマルチチャンネルスピーカーによるホームシアターシステムが普及し始めた時期であり、冒頭で触れたQサウンドなどが「新しい音響効果」として注目を浴びた時期です。音楽媒体でもアナログカセットテープからCDへ、そしてMDやDATといったデジタル録音へと進化していった時期でもあり、音楽を「データ」として利用し、音質劣化の少ない高品質なリスニングも手軽に楽しめるようになった時代でした。

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柔和な笑顔とともにオブジェクト・オーディオの素晴らしさを語るドルビー・ジャパン社長 大沢幸弘氏


オブジェクト・オーディオは、その音響のデジタル革命に匹敵するだけの感動や驚きを与えてくれるでしょうか。音楽シーンでは数年前からCD音源を大きく超える量子化ビット数やワイドバンドのサンプリング周波数を誇るハイレゾ録音によるリスニングが静かなブームとなっていますが、残念ながらそのブームは一部の音楽愛好家に留まっているのが実状です。

ハイレゾ楽曲が一般に浸透しない理由としては、ハイレゾで提供される楽曲データの少なさやその販売価格の高さ、高額な再生機器、楽曲データの容量が大きくダウンロード配信やストリーミング配信に向かないことなど様々にあるようです。

一方で大きなブームとなっているのはワイヤレスリスニング環境とストリーミング配信です。2016年末に登場したAppleのAirPodsを皮切りに次々と完全ワイヤレスのBluetoothイヤホンが発売され、こちらは徐々に一般化しつつあります。またストリーミング配信ではAppleのApple Music、GoogleのGoogle Play Music、LINEのLINE MUSIC、AmazonのAmazon Music、そしてAWAなど、様々なサービスが雨後の筍のように登場し音楽のダウンロード配信の存在意義すら薄れさせるほどに急成長しています。

これらの周辺機器やサービスの普及とハイレゾ楽曲の苦戦との比較から、多くの人々にとって音楽とは高額を払い微に入り細にわたってその音質の良さを楽しむといった高尚なものではなく、多少音質が悪かろうともっと気軽にファッションのように生活を彩る存在であって欲しいという感覚なのかもしれません。

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人々の多くは音楽に究極の音質よりも究極の自由を求めているのかもしれない


平坦で平凡な音楽の世界を、音に包まれるような驚愕の立体世界に変えてくれたQX-1は、もはや骨董品とも言える代物です。しかしその音響効果は四半世紀近く経った今でも変わらず筆者を喜ばせ続けています。オブジェクト・オーディオの世界は、次の四半世紀の間人々を感動させ続けてくれる存在になるでしょうか。そしてオブジェクト・オーディオはモバイルシーンでもその存在感を主張できるでしょうか。

新時代の立体音響技術に心躍らせつつ、筆者はまたQX-1にオーディオケーブルを繋ぎ電源を入れるのでした。

記事執筆:秋吉 健


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