省電力ディスプレイを実現する素材「LTPO」について考えてみた!

9月20日に発売されたApple(アップル)製新型スマートウォッチ「Apple Watch Series 5」は、みなさん購入されたでしょうか。5世代目となる本機には、1つの大きな進化がありました。それは時計や通知情報の「常時表示」です。

それまでのApple Watchシリーズでは、何も操作をしない状態では画面表示が消え、手首を返したり上に持ち上げる動作をすると、内蔵された加速度センサーなどが動きを検知して画面表示を行う仕様でした(Apple Watch Series 5でも同様の動作へ設定可能)。

ディスプレイを常時表示するとなると、気になるのはバッテリー駆動時間です。普通なら「常に画面を表示していたらバッテリー駆動時間が極端に短くなってしまうのでは?」と考えてしまうところですが、常時表示に対応していない前機種である「Apple Watch Series 4」と同じ18時間駆動を実現しています。

これは従来のスマートフォン(スマホ)やケータイのディスプレイ技術を知る人ほど不思議に感じてしまう、まるで魔法のような技術です。種明かしをすれば、「LTPO」というディスプレイ駆動素材と高効率な電源管理IC、そして環境光センサーによる見事な連携プレイによって実現したものですが、その中でも特筆に値するものと言えば、ディスプレイ技術に用いられたLTPOでしょう。

LTPOとは一体どのような素材なのでしょうか。また今後他の機器への投入はあるのでしょうか。感性の原点からテクノロジーの特異点を俯瞰する連載コラム「Arcaic Singularity」。今回はディスプレイの省電力化を実現する素材「LTPO」について解説します。

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見た目は前機種とほぼ同じだが、その中身は大きく進化している


■ディスプレイとトランジスタ層素材の歴史
はじめに、ディスプレイの駆動素材(トランジスタ層素材)について簡単におさらいしてみます。

初期の液晶ディスプレイ技術を支えた素材はアモルファスシリコン(非結晶シリコン)でした。トランジスタ層の形成が容易で大きなパネルも作りやすいのがメリットでしたが、電子移動度が低く、表示の書き換えの遅さから残像が酷かったため、動きの多い映像の表示には向きませんでした。

次に、アモルファスシリコンの欠点を解決するため電子移動度の高い「ポリシリコン」(多結晶シリコン)素材が登場します。しかしトランジスタ層の形成に1000度近い温度を必要としたため、ディスプレイ素材として高温に耐えられる高価な石英ガラスなどが必要となり、量産には向かないものでした。

このポリシリコン素材の「高温で形成する」という欠点を解決するために生まれたのが「低温ポリシリコン」(低温多結晶シリコン)でした。LTPS(Low-temperature polycrystalline silicon)とも表記されるこの素材と技術は非常に優秀で、その後現在に至るまで薄型ディスプレイ技術の基幹素材として活躍し続けることになります。

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モバイルノートPCとして業界初となるLTPS液晶を搭載した東芝製ノートPC「Dynabook SS 3380」(1999年)


LTPSはその後さまざまな改良と技術革新を受けながら世界中へ普及していきますが、モバイル業界の省電力化とバッテリー駆動時間延長への要求はその進化以上に高く、素材そのものの革新へと進むことになります。

そこで登場してきたのが、シャープが開発したIGZO素材です。IGZOとは、「インジウム(Indium)」、「ガリウム(Gallium)」、「亜鉛(Zinc)」、「酸素(Oxygen)」の頭文字を取ったものであり、LTPSほどではないにしても十分に高い電子移動度を持ち、更に待機時(回路オフ時)のリーク電流を大幅に抑えられるという特徴がありました。

バッテリー消費に関わる部分として、このリーク電流の低減が大きなポイントとなります。LTPSなどの素材では待機時のリーク電流が大きく、画面を常に書き換えて(≒常に高いリフレッシュレートを維持して)いなければ安定した表示を保てないという欠点がありました。

例えば、通常60Hzのリフレッシュレートで駆動しているLTPS液晶を10Hz程度に落とすと、リーク電流によって画素の状態が保てなくなり、チカチカと点滅したような表示となってしまいます。しかしIGZO液晶ではリーク電流が極端に少ないため、10Hz程度でも点滅しているように見えないのです(実際は僅かに点滅しているが視認できない)。

動画の表示中などは画面の書き換え速度を下げるわけにはいきませんが、例えばスマホのホーム画面や写真のような静止画を表示するのに、秒間60回もの書き換えは必要ありません。そういった「静止している画面」の表示時に駆動速度を下げる制御技術と組み合わせることで、消費電力を大幅に低減したのです。

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IGZO液晶はバッテリー駆動デバイス全盛時代だからこそ生まれた技術だった(画像はIGZO公式サイトより


■LTPOはOLED時代のトランジスタ層素材
そして登場するのがLTPOです。LTPOとは「Low Temperature Polycrystalline Oxide」(低温多結晶酸化物)の略称であり、IGZOと同じく酸化物を利用する薄膜トランジスタ技術です。

技術特性的にもIGZOと似ている部分が多くあり、LTPSのように高い電子移動度を保ちつつリーク電流を大幅に抑制できるというもので、その特許技術の多くをアップルが保有しているため、Apple Watchシリーズへの採用があったのです。

LTPOはOLED技術との親和性の高さもメリットの1つでした。例えばLTPSは電圧の変化による駆動を行う液晶技術の基礎素材として進化してきたため、電流量の変化によって駆動するOLEDでは配線が太くなりやすく(≒配線の微細化が難しく)、高解像度実現のために微細加工と開口率の両立が求められるモバイル向けOLEDには適さないという欠点がありました。

これがLTPOであれば配線の微細化(≒解像度の向上)も容易であり、IGZOのように可変リフレッシュレートを採用することで大きな省電力効果も期待できます。

Apple Watch Series 5では、電源管理ICや各種センサーとの組み合わせによって、実に1Hz(1秒間に1回)駆動という極端に少ない画面書き換えを実現しました。これが画面の常時表示と長時間駆動を両立させた「魔法」のからくりです。

実はこのLTPOを組合せたOLEDは、前機種であるApple Watch Series 4から採用されていたのですが、電源管理ICや制御プログラムが間に合わず、常時表示を見送ったという経緯があります。

一見地味な進化に見える画面の常時表示は、ディスプレイ素材だけではなく、各種ICやソフトウェア、センサーなど、多くの技術が組み合わされて、初めて実現した「技術の集大成」だったのです。

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筐体が小さく、内蔵できるバッテリー容量の制限が厳しいスマートウォッチだからこそ、ディスプレイの省電力化は最重要課題だった


■iPhoneへの採用の可能性と展望
これだけモバイル向けディスプレイの技術として優秀な素材であれば、iPhoneやiPadなど、Apple Watch以外のアップル製品への採用も当然考えられます。

はじめに素材技術のみでApple Watch Series 4へ採用され、その1年後に電源管理ICや各種センサーとの連携を行ったApple Watch Series 5が登場するという流れは、新技術の採用に積極的なアップルとしてはいつになく慎重なイメージです。

全くの新素材であるがために技術的な検証を重ねる必要があったことと、ディスプレイパネルの量産まで時間がかかったのかもしれませんが、これだけの省電力技術と素材が今後iPhoneなどに採用されない理由は今のところ見当たりません。

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次期iPhoneへの採用に期待が高まる(画像はiPhone 11 Pro)


LTPOがiPhoneのディスプレイ技術へ採用となれば、スマホの新たな利用価値の普及にも繋がります。

スマホはバッテリー容量が大きいことから、一部のハイエンド機種などでは既に時計などの常時表示が可能になっていますが、こういった時計や各種通知サービスなどの常時表示がより簡単に実装できるようになる上に、バッテリー駆動時間にも大きな影響を与えなくなります。

それどころか、通常駆動時にも細かな省電力管理を行えるようになり、現在よりもバッテリー駆動時間を伸ばすことが可能になるかもしれません。

SoCは進化するたびに性能を向上させますが、消費電力の削減はそれほど大きくは進みません。また、バッテリー性能も既に限界点に達しており、単純な容量増加以外に駆動時間の延長に寄与する技術的な余力が少なくなっています。

だからこそ、元々スマホの中でも一際電力消費の大きなディスプレイ技術から省電力化へのアプローチを積極的に行っていかなければならない段階に来ているのです。

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シャープ製「AQUOS sence」シリーズの液晶ディスプレイのトランジスタ層素材にはIGZOが採用され続けているが、その省電力性と表示品質向上を両立させる技術は年々進化している


■テクノロジーを「魔法」と錯覚させるために
かつてSF作家のアーサー・C・クラークは、著書「未来のプロフィル」の改訂版での述懐で「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」と書いたことは有名です(のちにクラークの3法則の1つと呼ばれることになる)。

現在のディスプレイ技術はまさに魔法です。スマホでの採用も増え始めたOLEDは0.01mmの極薄フィルムにすら形成可能で、ひらひらと風に舞うフィルムに鮮やかな映像が映し出されている様は、もはやSF映画のVFXか何かの魔法としか思えません。

LTPOは、そんな魔法を実現させる素材の1つです。数年後、世界中のOLEDのトランジスタ素材はIGZOやLTPOによって席巻されているかもしれません。そしてそれが当たり前になったとき、また新たな技術革新が生まれ、新たなデバイスも生まれてくることでしょう。

テクノロジーとは、これまでもそのようにして進化してきたからです。

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道具が魔法に見えたときこそ、テクノロジーの勝利の瞬間かもしれない


記事執筆:秋吉 健


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