スマホが置き換えてきたアナログなモノやコトを考えてみた! |
先週のコラムではスマートフォン(スマホ)によって代替されてきた(あるいは進化した)デジタル機器を解説しましたが、1つ重要なものを忘れてしまいました。それは携帯ゲーム機です。
古くはゲーム&ウォッチのLCDゲーム機世代から始まり、ゲームボーイやゲームボーイアドバンス、DS、PSPといった携帯ゲーム機が全盛を誇った進化の先は、スマホ(スマホゲーム)だったように思います。現在はニンテンドースイッチなどがありますが、あれを携帯ゲーム機として外出先などで楽しんでいる人は少ないでしょう。
そしてもう1つ、スマホによって代替されてきたものがあります。それはアナログ製品です。代表的なものはメモ帳や筆記具ですが、それだけではありません。技術の進歩によってスマホで代替されるアナログなモノや文化・慣習は増える一方です。
感性の原点からテクノロジーの特異点を俯瞰する連載コラム「Arcaic Singularity」。今回はアナログ編と称し、スマホによって置き換えられたりマイナー化していったアナログ製品とその文化などを解説します。
■メモ帳・筆記具
まずは冒頭で紹介したメモ帳や筆記具から話を始めましょう。
そもそも、メモ帳や筆記具に取って代わるべきデジタル製品はスマホ以前からさまざまに存在しました。前回のコラムで紹介した電子手帳などは、まさに紙のメモ帳を置き換えさらに多くの利便性を付与することを目的として生まれた道具の1つです。また、超小型のノートパソコン(ノートPC)である「ハンドヘルドPC」がデジタルメモ帳としてブームとなった時代もあります。
しかしながら、それらのデジタル製品は一過性に終わります。それは技術の過渡期であったことや、ただ単にアナログをデジタルに置き換えるだけの存在としか活用できない人が多く、メモ帳以上の革命を起こせなかったことも大きな要因のように感じます。
では、スマホが起こした「メモ帳以上の革命」とは一体何でしょうか。筆者は「カメラで撮ってメモする」文化の確立だと考えます。
スマホが登場するまで、「メモを取る」という行為は「何かに筆記具などで書き記す」という行動である点をまったく変えることができませんでした。ところがスマホにはカメラ機能があり、それでパッと撮影して保存するだけでメモが取れるのです(この場合「メモが撮れる」と言うべきか)。
今では当たり前となったこんな光景も、ほんの10年前までは奇異の目で見られていたのです。スマホ以前の携帯電話(フィーチャーフォン)全盛の時代から同様のことができたにも関わらずそれが一般的とならなかった背景には、ビジネスシーンでのマナーやコンプライアンスとしてカメラ撮影はどうなのかといった問題や慣習的なズレ、携帯電話の小さな画面ではメモ代わりに撮影しても有効活用しづらかった、といった背景もあるように思われます。
今では撮影されたモノに写された文字をスマホアプリが自動認識し、テキストとして書き出してくれるOCR機能も充実してきました。「メモを取る」ならぬ「メモを撮る」行為こそが、スマホがメモ帳を真に代替しメモを進化させたと言っても過言ではないでしょう。
■辞書
そしてもう1つの代表的なものは、トップ画像にもある辞書でしょう。
ひたすらに文字を扱う筆者のような仕事の人間でさえ、分厚い辞書を手にすることはほぼなくなりました。トップ画像を撮影する際も、本棚からホコリだらけの状態で取り出してきたほどです。
そもそも、スマホに辞書アプリを入れている人すら少ないのではないでしょうか。今やわからない文字や言葉があればネット検索や辞書サイトで事足りてしまう時代です。
辞書の電子化はスマホ以前の時代から進んでおり、カシオやシャープ製の電子辞書のお世話になった人も多いかも知れません。しかしその時代はまだ紙の辞書が完全に置き換えられるということはなかったように思われます。
それは恐らく、そもそも辞書で文字を調べるという作業を必要とする人が少なかったことに起因しているように思います。電子辞書を常に携帯し、ことあるごとに文字を調べていた人はほとんどいません。しかしスマホで簡単にネット検索できるようになったことで、人々は夕飯のレシピを調べるようにして言葉の意味を調べられるようになったのです。
それでも、言葉や文字の意味をすぐにスマホを使って調べるような人が少ないこともまた事実です。これだけ「調べる」という行為への敷居が下がっても、辞書を引かない人は引かないままなのです。
■雑誌・書籍
辞書が電子化されたように、文字を使った文化もまた電子化されていきます。スマホ登場以前の時代から電子書籍やデジタル雑誌といったものは存在していましたが、それらが本格的に普及し一般化することはありませんでした。
例えばソニーなどは古くから電子書籍事業に熱心な企業の1つで、2000年代初頭からリブリエ(LIBRIe)やリーダー(Reader)といった電子書籍専用端末を次々と発売し、市場の醸成に寄与してきました。
ソニー以外にもさまざまな企業が独自の規格やマーケットを展開して電子書籍の普及を図ってきましたが、ほぼすべてが失敗に終わったと言っても良いはずです。理由は簡単です。紙の本以上の価値を与えられなかったからです。
例えば、電子書籍端末1つで何千・何万の本を詰め込めると言われても「そんなに読まない」、「そんなに持ち歩く意味がない」、「読みたい本がない」となれば、「本を読む」以上のことができない限り無用の長物です。それは紙の本を持ち歩くのと大差がないということです。
しかしスマホは、そもそもその存在自体が多様な価値の塊です。「本を読む」ことが主たる機能ではないからこそ付随機能として便利だったのであり、汎用的なアプリストアから自分の好みにあった電子書籍アプリを選び、サブスクリプションによって好きな時に好きなだけ本を読めるシステムが確立されたことで、ようやく電子書籍というシステムが人々に歓迎されたように思います。
人々が電子書籍に魅力を感じ便利だと感じた点は、電子書籍という手段や技術ではありません。「持ち物を増やすことなくいつも手元にある道具でいつでもどこでも本が読める」という手軽さ(手間の不要さ)だったのです。
■現金・通帳
現金やそれを管理する銀行の通帳は、スマホとオンラインサービスの進化によって代替され始めたアナログな道具(手段)の1つでしょう。
電子マネーの歴史も古く、フィーチャーフォン時代から「おサイフケータイ」機能などがありましたが、それらが想像以上に一般には利用されていなかったことについては、以前のコラムでも触れたことがあります。
一方でQRコードを利用した決済システムは、ソフトバンクグループが「PayPay」を導入し大々的な還元キャンペーンなどで話題となったことをきっかけに、日本国内であっという間に電子マネー決済の主流へと上りつめます。
QRコード決済が普及したことで、「もう現金は持ち歩いていない」、「しばらく現金で買い物をしていない」という人が増え始めました。10代の若年層にまでこういった流れが波及したことは何よりの衝撃でもあります。
これに伴い、銀行の預金通帳もまたデジタル化・スマホアプリ化が一気に加速します。それまで頑なに紙の通帳を使っていた預金管理はスマホアプリへと移行し、しかも保険やローン、資産運用といったフィンテックとの連動によってより便利で使いやすいものへと進化しています。
通信各社が用意する電子マネー決済アプリもまた資産運用を目的としたアプリへと変貌しつつあり、お金という概念に対する接し方や管理方法が、ここ数年で大きく様変わりしたようにも思えます。
■地図
意外と忘れがちですが、紙の地図(マップ)もまたスマホアプリへと大きく切り替わった道具の1つです。
スマホ以前から自動車での用途ではカーナビなどに代替され始めていましたが、2000年代前半までに企業で働いていた経験がある人ならば、自宅や会社に地域の地図を常備していた人は少なくないはずです。
そもそも、自動車以外で紙の地図が不要になり始めたのはフィーチャーフォン向けのアプリとして地図アプリが流行り始めたあたりからでしょうか。有名なところでは「ナビタイム」などがありますが、スマホ時代になってGoogleがマップアプリを無料提供しはじめたあたりから利用が爆発的に増えた印象です。
今や紙の地図を手に旅行先を歩く人の姿はなく、道を教えて欲しいとコンビニへ立ち寄る人もいません。あるとすれば、商店街や観光地でビラ代わりに配られる観光マップくらいなものでしょうか。
ここまで完全にスマホとそのサービスへと置き換えられたアナログな道具は非常に珍しいかも知れません。
■手紙(はがき)
最後に解説したいのは手紙です。とくに私たちの生活習慣や慣習と深い関係にあったものを挙げるなら「年賀状」でしょう。
みなさんが最後に紙の手紙を送ったのはいつでしょうか。筆者はもはや、毎年の確定申告書程度しか送ることがありません(それですら時代遅れな手段になりつつある)。
私用の連絡はすべてLINEやDiscord、企業との連絡はメールやTeams。年賀状も年賀メッセージとしてLINEで送ったりTwitterでツイートする程度です。
そもそも、かつては紙の手紙との区別をするために「電子メール」や「Eメール」と呼んでいたものが、いつの間にかただ「メール」とだけ呼ばれるようになった時点で、紙の手紙は多くの役目を終えていたようにも思います。
携帯電話全盛の2010年頃までは、それでも年賀状などが当たり前のようにやり取りされていたことを考えると、スマホによるSNSの利便性と手軽さは絶大であったのだろうと容易に想像がつきます。
年賀状文化の事実上の消滅は、時代のターニングポイントを強く実感させます。例えば郵便はがきを用いた年賀状という文化・慣習が一般に根付いたのは、昭和24年のお年玉付き年賀はがきの発行からと言われており、仮に遡るとしてもせいぜい明治後期~昭和初期頃です。
遠方への年始の挨拶という意味では飛鳥時代や奈良時代にまで起源を遡ることができ、その送付手段は直接の往来に加えて書簡を早馬や使者で送るなど、時代によって変遷してきました。もちろんその当時は一般大衆の文化ではなく、貴族(豪族・公家など)や皇族のみに許された手段です。
つまり現在のメールやSNSによる年賀の挨拶という新しい習慣や、紙の手紙(封書)に頼らないビジネススタイルは、昭和初期に確立された「手紙(はがき)の郵送」という手段から、約100年ぶりの変化(進化)ということになるのです。
SNSによって24時間365日繋がり続ける時代になったこともまた、手紙という文化・慣習を希薄化させる大きな要因だったでしょう。
年賀の挨拶と言われても「いつもLINEで会話してるし」となれば、敢えて丁寧でかしこまった文体で手紙を送る意味もありません。お礼や社交辞令としての挨拶でもない限り、特定のタイミングで特定の挨拶をしなければいけない明確な理由がない時代になったのです。
だからこそ、日常の延長線上にあるイベントとして年始の挨拶を捉え、いつも通りにSNSを利用して「あけおめことよろ~」とフランクに挨拶するのです。それはお互いの関係を軽視しているわけではありません。常に繋がり続ける時代だからこその「近さ」、つまり親近感の現れです。
■スマホがもたらした文化のターニングポイント
このように、アナログな道具がスマホとそのサービスに置き換えられていった経緯や理由を追いかけてみると、デジタル製品でもあったような特徴が見えてきます。それは「アナログ製品は文化・慣習と強く結びついているものが多く、手段の変遷は文化・慣習の変化・進化に直結している」ということです。
これはデジタル製品よりも顕著な変化だと感じます。メモを取る文化はメモを撮る文化へと代わり、電子マネーは現金を使う行為を「予備の手段」にまで後退させ、年始の挨拶は手紙という文化や技術そのものから移り変わろうとしています。
ここ100年余りの歴史を振り返れば、電話の登場や自動車の登場、PCの登場、携帯電話の登場などさまざまなターニングポイントがあったように思われますが、スマホの登場はそれらに並ぶかそれ以上のインパクトをもたらしたのではないかと思うほどです。
そして多くの人は、その変化の大きさをあまり実感しているようには見えません。いつの間にか世界が変わり、自分たちの生活も気がつけば変わっていた。そんなところではないでしょうか。
それほどに、スマホという道具は登場以来私たちの生活と密接な関係にあり続けてきたという証左であるように感じます。
前回のデジタル編と合わせ、2回にわたってスマホが代替してきたモノやコトについてつらつらと書き連ねてきましたが、恐らく筆者が見落としているであろうモノや、認識が甘いコトも数多くあるでしょう。
みなさんは身近な道具や生活習慣などで、スマホで変わったなと感じるものはあるでしょうか。あるいはスマホで生まれた新しいライフスタイルや習慣はあるでしょうか。
スマホはすべてのものを代替するわけではありません。むしろ簡易・劣化した代用品でしかなく、本質的には専用の道具には敵わないという人もいます。
そういった「今と昔」の違いも含め、スマホがもたらした変化について、そろそろ語り合う時期に差し掛かっているようにも思えます。
記事執筆:秋吉 健
■関連リンク
・エスマックス(S-MAX)
・エスマックス(S-MAX) smaxjp on Twitter
・S-MAX - Facebookページ
・連載「秋吉 健のArcaic Singularity」記事一覧 - S-MAX