通信業界のMNP無料化議論と消費者流動性について考えてみた!

8月26日付の日本経済新聞にて携帯電話番号を引き継いだまま契約会社を乗り換えることができる「携帯電話番号ポータビリティー(MNP)」制度について転出手数料を原則無料とし、店舗で手続きする場合は上限1,000円まで認める方針を総務省がまとめたと報じられました。

さらに28日には菅義偉内閣官房長官が定例記者会見にて携帯電話料金の引き下げについて言及し、「いまだに日本の携帯電話料金は諸外国と比較して高く、大手携帯電話各社がシェアの9割を寡占している。利益率が20%程度で高止まりしており料金引き下げの余地がある」と語るなど、内閣および総務省が大手移動体通信事業者(MNO)の携帯電話料金にまだまだ大きな不満を持っていることが分かりました。

菅官房長官による携帯電話料金への言及と言えば、2018年8月の「(携帯電話料金は)4割程度下げる余地がある」発言を思い出します。あれからちょうど2年が経ち、またこのタイミングでの言及があったのは偶然なのか、それとも何か重要な意図があったのかは不明ですが、この発言と総務省のMNP転出手数料無料化の議論が今後再び通信業界内で物議を醸していくのは間違いありません。

果たしてMNP転出手数料無料化は必要なのか、更なる通信料金の値下げは消費者の流動化を促進するのか。感性の原点からテクノロジーの特異点を俯瞰する連載コラム「Arcaic Singularity」。今回はMNP転出手数料無料化議論に焦点を当てつつ、消費者の流動化施策について考察します。

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料金の引き下げで消費者は通信キャリアを乗り換えるようになるのだろうか


■MNPの仕組み
はじめにMNPとMNP転出手数料について簡単におさらいしておきます。

MNP(Mobile Number Portability)とは、その名の通り携帯電話番号を変えずに他社の携帯電話(正確には通信回線)を契約することです。

SIMカードがなかった時代には、「回線契約を変更する=その会社の携帯電話を購入する」ことであったため、今でも「MNPするときは携帯電話を買い換えなければいけない」と考えている人も多いかと思いますが、実際はSIMロック解除を行った端末であったり、はじめからSIMロックフリーの端末などを持っていれば、SIMの変更だけで利用できます。

そのSIMの変更に際し、電話番号を引き継ぐ制度がMNP制度です。現在利用している転出元の通信キャリアへユーザーがMNPしたい旨を伝えると、その通信キャリアがMNP予約番号を発行します。ユーザーが転出先の通信キャリアへその予約番号を持っていくと、転出元の通信キャリアから転出先の通信キャリアへと電話番号情報などが引き継がれ、MNPが完了となります。

MNP転出手数料とは、この「予約番号の発行」や、「転出先の通信キャリアとの電話番号情報引き継ぎの連携」などにかかる費用として徴収されるものですが、そのほとんどの作業は自動化されており、現在各社が定めている3,000円前後の価格設定にあまり意味がなくなっていたのも事実です。

そのため、オンラインで引き継ぎ作業を行う場合には原則無料とし、店舗で行う場合には人件費や時間工数を考慮して1,000円程度が妥当ではないか、というのが総務省の見解なのです。

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NTTドコモによるMNP手続きの案内。現在NTTドコモはMNP転出手数料として3,000円を徴収している


■電気通信事業法改正で消費者は「動かなくなった」
当然ながら、一消費者としてはMNP転出手数料が無料になったり安くなるのであれば嬉しいことです。しかし、それが総務省の目標とする消費者の流動化につながるかと聞かれれば、微妙と言わざるを得ません。

前述のように、菅官房長官は2018年夏に料金値下げについて言及し、それを受ける形で各社の新たな料金施策が2019年夏までに出揃いました。その後も電気通信事業法の改正によって通信料金と端末代金の分離販売が義務化され、各社が案を練った料金プランも次々と「抜け穴」が潰されるなど、徹底した介入が行われました。

結果、通信料金の低廉化は一定の効果を見せましたが、一方で端末代金の値引きも大きく規制されたため、残価設定型割賦方式に似た販売形態などを各社が模索することとなりました。

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純粋な「販売」では端末が高額になりすぎて売れないため、下取りや機種変更を前提とした販売が常態化した


では、これらの法改正や各社の施策によって、人々は流動的に通信キャリアを乗り換えるようになったのでしょうか。

答えはNOです。NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクの3社が発表した2019年第3四半期や2020年3月決算発表では、各社の通信回線契約の解約率が公表されましたが、その数字はいずれも前年同期比で低下しており、中にはソフトバンクのように過去最低の解約率となった企業もあります。

総務省が強引と呼べるほどに口を出し、法律まで改正して行った施策は、逆に消費者の流動性を固着させてしまっただけだったのです。

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上から順に、NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクの2019年度の解約率(KDDIのみ2019年第3四半期の数字)


■人々の流動性を固着化させた経済圏戦略
消費者の流動化を狙ったはずの施策で、どうしてこのような事態を生んでしまったのでしょうか。その答えはポイント経済圏にあります。

MNO各社とて一流の営利企業です。いくら国の命令とは言え、黙って利益を削られるままでいるはずもありません。料金値下げの議論が本格化するほどに各社は次なる顧客の囲い込み策を考え、「如何にしてユーザーを手放さず利益を確保するか」という戦略に躍起になります。

その結論こそが経済圏戦略でした。各社はユーザーが得をするサービスやコンテンツを次々と打ち出し、他業種との連携や提携も進め、その支払いやポイント利用をすべて自社に集中させたのです。

結果、仮想移動体通信事業者などと比較して割高な料金設定であっても、「これだけのサービスが受けられるなら十分安い」、「動画見放題のプランだから割高だけど納得できる」と、ユーザーをつなぎとめることに成功したのです。

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ありとあらゆるサービスを駆使し、ARPU(1契約あたりの月間平均収入)は維持しつつ顧客メリットを最大に引き上げる。それが通信各社の目指す経済圏の姿だ


そしてまた、各社の経済圏には「ユーザーが出にくくなるメリット」がありました。

仮にユーザーが他社へMNPしようとすれば、貯めていたポイントは失効し、通信キャリアでまとめていた各種支払いは全て自分で変更手続きを行う必要があり、通信キャリアが提供していた利用していたアプリやコンテンツは全て使えなくなります。

ユーザーは経済圏のサービスを利用すればするほどにその経済圏から抜け出せなくなり、MNPは進まなくなります。これこそが各社の最大の目論見です。どれだけ料金的に他社が安かろうとも、「乗り換えるのが面倒」と感じさせてしまえばユーザーは乗り換えなくなるのです。

例えば、通信キャリアを変更しない理由として「メールアドレスが変わるのが嫌だから」という声を何度も聞いたことがあります。それはメールアドレスに愛着があるからではなく、メールアドレスの変更を友人などに伝えるのが面倒であったり、そのメールアドレスで登録していた多数のオンラインサービスで設定の変更を行うのが面倒であるという理由からです。

経済圏による囲い込みは、その「メールアドレスが変わることによる面倒臭さ」をさらに大規模化したものだと考えて良いでしょう。通信とそこに関わるサービスが生活の隅々にまで浸透した結果、通信会社を変えるという行為が生活の全てを変えるという一大問題に発展するようになったのです。

公共料金の支払いから果ては家賃まで、全てを通信料金の支払いにまとめているという人は少なくありません。それが悪いわけではなく、生活を効率的で便利なものにする、という意味では非常に有意なものです。それだけに、人々は「これだけ便利なのにわざわざ面倒なことをして乗り換えるメリットがない」と考えるのです。

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各社がポイントアプリを各種決済や金融サービスまで統合するスーパーアプリへと進化させているのも、ユーザーを強力の囲い込むための施策の1つだ


■遅すぎた議論と政府の施策
菅官房長官が料金値下げを提言し続け、総務省による積極的な干渉があったからこそ各社が大容量プランを出してきたと考えれば、消費者流動性とは別にユーザーメリットは十分あったようにも思います。また、ポイントを中心とした経済圏もユーザーにメリットのある施策です。

しかし、MNP転出手数料を無料にすれば人が動くとか、そのような簡単な話ではないことは事実です。MNP転出手数料を適正な料金にすることは消費者の流動性とは別で必要なことであり、それは前提条件でしかないからです。

今から消費者を動かしたいのであれば、それぞれの消費者が利用している経済圏を変更する手間や面倒を押してでも変更したいと感じさせる「何か」が必要ですが、それが何なのかは誰も知りません。恐らく総務省も分かっていないでしょう。

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答えのない議論ほど不毛なものはない


もしかしたら答えのない戦いをしているのかも知れない料金値下げと消費者流動化議論。筆者的には楽天モバイルのようなMNO新規参入事業者が自発的に価格競争や経済圏競争を仕掛けない限り値下げ合戦や消費者の流動化は起こり得ないと考えますが、どうでしょうか。

そもそも、現在はMVNOやサブブランドMNOを中心に、十分に魅力的な価格の通信契約が存在しているのです。それを選択するか否かは消費者の自由であり、現実として消費者が動いていないのであれば、それは消費者の自由意志によるものだと考えるべきです。

大量の選択肢がありながら動かないのは「動きたくない」理由があるからです。総務省はその動きたくない理由を、1つ1つ全て虱潰しにしていくつもりでしょうか。そこまでして消費者は半強制的に動かなければいけないものなのでしょうか。「面倒だから」、「よく分からないから」という理由まで潰していけると思っているのでしょうか。

筆者には理想論、もしくは荒唐無稽な机上の空論に思えます。

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各社の経済圏戦略が確立してしまった今、消費者流動性の確保を目的にするのは時代錯誤感が強い


記事執筆:秋吉 健


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