平成の30年間を携帯電話の歴史で振り返ってみた!

半年ほど前、某氏より携帯電話やPHSの店頭用モックアップ(以下、モック)をいくつか譲り受けました。一般人であれば「なぜそんなものを」と笑うかもしれませんが、モバイル系フリーランスライターであり、それ以前にモバイルガジェットを趣味として愛する筆者にとっては、宝の山なのです。

本物の携帯電話やスマートフォン(スマホ)のほとんどはリチウムイオンバッテリーを搭載していますが、経年劣化によってバッテリーが膨張したり、時には火災や爆発の危険すらあるため、長期間に渡って保管・保存するにはあまり適していません。

その上、背面パネルとバッテリーが一体化していたり、そもそもバッテリー交換ができなかったりする機種も多く、歴史を振り返るための資料としてはモックのほうが適している場合が多いのです。

譲り受けたモックの多くは2010年(平成22年)頃のものが多く、さほど古い印象はありませんが、それでも現在10代の若者にとっては見たこともない製品も多いかもしれません。ちょうどフィーチャーフォン(当時は「ガラケー」と呼んだ)からスマホへと移り変わる過渡期の製品たちで、ガラケーは恐竜の如き異形進化を遂げていた時代でもありました。

感性の原点からテクノロジーの特異点を俯瞰する「Arcaic Singularity」。今回は平成の時代を携帯電話(移動体通信端末)の歴史で振り返ります。

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ガラケーの恐竜的進化の行き着いた先、富士通製「F-04B」。テンキーとキーボードを内蔵し、しかも本体から分離できた


■「携帯できる電話」は昭和時代に生まれた
携帯電話の歴史と言うと、恐らく多くの人が「1990年くらいから?」とか、「平成元年くらいからかな」と思うかもしれません。その認識はほぼ間違っていませんが、「携帯できる電話」という意味では昭和の時代には日本に登場していました。

初めて日本で「携帯できる電話」が発売されたのは1985年(昭和60年)。当時のNTTから発売された「ショルダーホン100型」です。ショルダーホンは厳密には携帯電話ではなく、当時移動体通信端末として広く使われていた自動車用車載電話(自動車電話)を持ち歩けるようにしたものです。

ショルダーホンはその名の通りショルダーバッグのように肩にかけて持ち歩くもので、その重量はなんと約2.6kg。実物を今見ると笑ってしまうほどの大きさでした。

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1988年(昭和63年)に発売された2世代目の「ショルダーホン101型」。これでも小型・軽量化されている


携帯電話サービスと正式に呼ばれるものが登場したのは1987年(昭和62年)です。当時は自動車電話も含めたサービスであり、企業向けのリース契約が主体の高価な代物でした(個人向けもリースのみだった)。

携帯電話が高嶺の花であった時代は1990年代半ば(平成5~6年)までしばらく続きます。その間、1988年(昭和63年)の通信自由化を受けて、IDOやDDIセルラーといった新しい移動体通信事業者が次々と参入し、1993年(平成5年)にはPDCデジタル方式を採用した2Gサービスが開始。ようやく端末の小型化とコモディティ化、そして低価格化によって一般消費者層へと携帯電話が徐々に広がりはじめます。

またこの時期、学生を中心に人気となった携帯端末にポケットベル(ポケベル、もしくはページャー。正式には「無線呼び出し」)があります。携帯電話よりも圧倒的に安価で直接個人間で連絡をとりあうことができるポケベルは大人気となり、最盛期となる1996年(平成8年)には1000万契約を突破するほどでした。

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この時代の携帯電話を個人で使っていた人はあまり多くないだろう


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ポケベルサービスも今年9月でついに完全終了する


■平成初期に起こった携帯電話型端末の「カンブリア爆発」
携帯電話が爆発的に普及し始めたのは1995年(平成7年)頃です。10社近くもあった携帯電話事業者は過当競争によって統合・合併が進み、サービスの安定性と透明性が進むに連れて、街には携帯電話専門店が乱立しはじめます。

企業側にとって普及の大きな原動力となったのが1994年(平成6年)の自動車・携帯電話買取制度の開始(リースではなく販売が可能になった)や、回線利用料金の大幅な引き下げでした。これらによって端末メーカーが次々と現れ、その数は20社以上にも。

安価になったとは言え、学生が所持するほどには端末価格も通信料金も十分に安いとは言えず、普及の対象は主にビジネスマンでした。携帯電話は最新のビジネスツールであり、バブル崩壊を乗り越えた一流のビジネスマンがステータスとして持つようになったのです。

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学生世代に普及するのは2000年(平成12年)前後まで待つ必要があった


この「携帯電話は当たり前になったが学生が持つには高い」という壁を超え、さらなる携帯電話型端末の普及を目指して作られたのが、1995年(平成7年)に登場するPHS(Personal Handy-phone System)でした。

PHSは当時から「簡易型携帯電話」と呼ばれ、家庭用やオフィス用の内線端末(子機)を屋外で使えるように改良したものでした。そのため移動しながらの利用に弱いなどの弱点もありつつも、端末の開発コストや通信基地局の設置コストが安価であったことから、瞬く間に学生や主婦を中心に普及していったのです。

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中には当時流行したピングーやたまごっちとコラボしたPHS端末も登場した。(左:1998年(平成10年)三菱電機製「ピングー TL-PG100」、右:1997年(平成9年)バンダイ製(九州松下OEM)「たまぴっち BTP-101」)


PHSは1998年(平成10年)頃までに学生(主に大学生)の必需品としての地位を確立しましたが、1999年(平成11年)にNTTドコモから発売されたNEC製「N501i」の登場により状況が一変します。

それまでPHSを愛用していた大学生に「PHSはダサい」、「ストレート端末は古い」というイメージを植え付けるのに十分すぎるほどのインパクトを与えた製品で、その後2000年(平成12年)に登場したNEC製「N502i」でその人気は不動のものとなります。二つ折り(クラムシェル)型の携帯電話は「パカパカ」の愛称で呼ばれ、爆発的に拡まっていきました。

ここから携帯電話の大躍進が始まります。自動車電話を持ち歩けるようにしたショルダーホンから数えて約15年。長い下積みの時代を経て、携帯電話はついに「連絡手段」から「生活インフラ」へと進化したのです。

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それは人々にもたらされた「生活の概念のパラダイムシフト」の瞬間でもあった


■高速通信、そして独自進化の時代へ
そうして人々はどこにいても常に繋がり、連絡を取り合える時代へと突入します。携帯電話も進化を重ね小型化、多様化へと進み始めます。

ポケベルは静かに第一線から退き、PHSもまた風前の灯となりつつありましたが、折りしもインターネットブームとモバイルノートPCブームが重なり、PHSはデータ通信に活路を見出します。

当時の携帯電話はまだ「電話」機能がメインであり、1999年(平成11年)より始まっていたNTTドコモの「iモード」サービスやDDIセルラーグループ(現:KDDI)の「EZweb」があったとは言え、広く開かれたインターネットに携帯電話で接続することは、速度的にも料金的にも現実的ではありませんでした。

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その後もPHSはPC向け通信用端末として2008年(平成20年)頃までビジネスマンを中心に根強い人気を博した


携帯電話でのインターネット接続や閲覧が一般的になるのは、2003年(平成15年)にKDDIが採用したパケット定額制まで待つ必要があります。

その頃には通信規格も3G世代(W-CDMA、CDMA2000 1xなど)となって久しく、端末の成熟度(完成度)も進んだ携帯電話は世界規格から大きく外れた独自進化をし始めます。これが後に「ガラパゴスケータイ」、通称「ガラケー」と呼ばれることになります。

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超小型端末からテレビ放送が視聴できる端末まで、ガラケーの原型は2005年(平成17年)頃には完成されつつあった


2000年代半ば(平成17年前後)に入ると、ガラケーは「異形」もしくは「恐竜化」という表現がふさわしいほどの独自進化を始めます。

それまでフリップやクラムシェル程度であった可動機構はスライド型やリボルバー型、クラムシェル+回転型など様々に多様化し、その変形ぶりを楽しむ風潮すら生まれました。冒頭で紹介した2010年(平成22年)発売の富士通製「F-04B」などは、その究極と言えます。

当時世界では携帯電話と言えば簡易な通話主体の道具であり、情報端末としての機能は主にスマートフォンとして別進化していました。スマートフォンと言っても、現在のiPhoneのようなものではありません。通信機能を内蔵したPDAもしくはページャーの進化・発展端末であり、通話は多数ある機能のうちの一機能に過ぎませんでした。

飽くまでも電話機が進化したガラケーは先進性こそ素晴らしかったものの、日本独自の規格の多さなどから世界に輸出できるものではなく、その発展性や世界戦略が閉ざされていたことは当時から少なからず危惧されていたことでした。

そしてそれが決定的となったのが、アップル製「iPhone」の登場でした。

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クラムシェル+回転ヒンジでダブルオープンスタイルを可能にした、2007年(平成19年)発売のパナソニック製「P905i」


■iPhoneがもたらした「第2のパラダイムシフト」
携帯電話の普及が人々を「待つ」生活スタイルから「動く」生活スタイルへと変貌させたのが移動体通信における第1のパラダイムシフトであると考えるならば、iPhoneの登場とその後に登場するAndroidスマホの登場は、人々に「情報」を与えた第2のパラダイムシフトであったと呼んでもおかしくはないでしょう。

初代iPhoneが登場したのは2007年(平成19年)ですが、日本での普及は2008年(平成20年)に発売される「iPhone 3G」からです。2006年(平成18年)にボーダフォンを買収し携帯電話業界へと参入したソフトバンクは特別待遇とも言える料金プランと本体価格設定によってiPhone 3Gを迎え入れ、世界の通信業界の潮流をいち早く日本にもたらしました。

当時の日本の携帯電話業界がどのようにiPhoneを見ていたのか、今でも鮮明に記憶していることがあります。NTTドコモやKDDIなどの新端末発表会において、日本の携帯電話メーカー各社にiPhoneについて質問すると、「ああ、あれね……」、「ああいうのも面白いかもね」と、まるで興味のなさそうな返答が揃って聞こえてきたのです。

まさに「歯牙にも掛けない」という言葉通りの反応に日本の未来の暗さを痛感していましたが、それが現実のものとなるまでにはそれほど時間を要しませんでした。

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iPhoneがもたらした革命的な先進性とアップルの野望に、通信キャリアのみならず携帯電話メーカー各社も当時は全く気が付いていなかった(写真はiPhone 3GS)


意外にも、iPhoneの先進性を見抜いていたのは一般消費者かもしれません。通常であれば、こういった「奇抜な端末」は一部のアーリーアダプター層の消費者のみが飛びつき、普及までに至らないケースがほとんどであるのに、iPhoneだけはそのキャズム(溝)を一気に飛び越えたのです。

もちろんそれはソフトバンクが仕掛けた普及策によるところが大きかったのですが、しかしそれまで圧倒的な人気とブームを巻き起こしていたガラケーがほんの数年で駆逐される結果になるとは、携帯電話業界の内部の人ほど予想していなかったように思えます。

日本の携帯電話メーカーも遅ればせながらGoogleのAndorid OSを搭載したスマホを開発し再び巻き返しを狙いますが、時すでに遅し。当時の完成度の低いAndroid OSとハードウェアではユーザーの不評ばかりを買い、結果的に日本はiPhone天国となります。

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2010年(平成22年)発売のシャープ製「IS03」。発売当時のOSバージョンは2.1.1。当時のAndroidスマホはお世辞にも使いやすいとは言えなかった


■携帯電話業界の見えぬ未来に思いを馳せて
その後の日本における移動体通信端末の変遷は皆さんも記憶に新しいところでしょう。日本の携帯電話メーカーもまたAndroidスマホで再起を図ったものの、熾烈な過当競争に破れ次々に市場から撤退。

かつては20社を超えていた国内の携帯電話(スマホ)メーカーは現在、ソニー、シャープ、京セラ、富士通など、大手数社を残すのみとなりました(シャープは台湾ホンハイの傘下であり純然たる国内メーカーではなくなったが)。

こうして携帯電話の歴史を振り返るだけでも、平成という時代が如何に激動であったのかが伺い知れます。わずか30年、と一言で言うにはあまりにも人々の生活の変化や情報との関わり方の変化が大きすぎる時代でした。

そして時代は令和へ。通信の世界では5Gの時代へと突入します。奇しくも今月24日には、ソフトバンクより2023年3月末でPHSテレメタリングプランの終了が告知されました。約30年にわたって続いたPHSサービスが、ついに停波することとなります。

昭和に始まり平成を駆け抜け、人々の生活をも変革させてきた日本の携帯電話業界。はたして令和の時代には何をもたらしてくれるのでしょうか。5Gとその先の通信の世界は何を人々に与えてくれるのでしょうか。過去の30年間を振り返って見る限り、これから先の30年後、いや、それどころか10年後すらも予見できる気がしません。

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iPhone登場から12年。画面サイズや機能は大きく進化したが、その端末としてのスタイルと用途はほとんど変わっていない。如何にiPhoneのコンセプトが革命的であったのかが伺える(左:iPhone 3GS、右:iPhone XS)


皆さんは平成の時代にどれだけの携帯電話を買ってきたでしょうか。そこにどのような思いを残してきたでしょうか。もし昔使っていた端末をまだ持っているのなら、このゴールデンウィークに引っ張り出してきて、家族や友人とともに昔の思い出話に花を咲かせるのも悪くないかも知れません。

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携帯電話の数だけ、人々の思い出がある


記事執筆:秋吉 健


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