東日本大震災から10年間のテクノロジーや通信の進化について考えてみた! |
「何を書こうか」ではなく「何から書こうか」……そう考え続けて3日程経ってしまいました。何について書くのかは、1ヶ月ほど前から決めていたのですが。
あと数日で、東日本大震災(以下、震災)から10年です。この10年、筆者の生活は停滞している感覚と激動する感覚が同時並行で襲ってくる、不思議な状態がずっと続いていました。
停滞する感覚とは筆者の心の病の問題であり、それは数年前に寛解しました。激動の感覚とはテクノロジーの進化であり、追いかけても追いかけても追いつかないその技術の進歩の早さにゆえに、筆者が勉強の虫のようになってしまった現在があります。
テクノロジーや通信の世界は震災から何を学び、どう進化してきたのか。私たちは震災をどう教訓としていくべきなのか。感性の原点からテクノロジーの特異点を俯瞰する連載コラム「Arcaic Singularity」。今回は東日本大震災からの10年をテクノロジーや通信の視点から振り返りつつ、これからの私たちの生活について考えます。
■震災と計画停電に学んだもの
2011年3月11日14時46分。筆者は体調が悪く床に伏せていました。突然の大地震に飛び起きると、メインのノートPCが冷めきったコーヒーで水没し、停電によってNASへ繋げていたUPS(無停電電源装置)が盛大にアラートを鳴らしていたのを覚えています。
当時はまだ多くの人がスマートフォン(スマホ)ではなく携帯電話(フィーチャーフォン)を使っていた時代。現在のようにオンラインサービスを多用していた時代でもなく、データのクラウドバックアップなどが当たり前ではなかった時代だったため、停電と通信の途絶は「家族や会社と連絡が取れない」というレベルの問題で済んでいました。
それでも世間的には大問題でしたが、しかしながら、もしもこれが現代に起きていたらと考えると背筋が寒くなります。SNSに依存しクラウドサービスに慣れきった人々は、通信の向こう側から断絶された世界に耐えられないだけではなく、生活そのものが機能不全に陥る可能性すらあるからです。
震災後、しばらく計画停電が続きましたが、その期間もまた苦しい日々でした。
コーヒーに沈んだ母艦ノートPCは幸いにもその後無事に稼働しましたが、当時のノートPCはバッテリー技術や省電力設計が今ほど優秀ではなく、スタミナモード(省電力モード)で利用してもせいぜい5~6時間といったところでした。
筆者は「VAIO Z」と「VAIO X」の2台のノートPCを主に使い分けていたため、電力が通っている時間にノートPCの充電やオンライン作業を済ませ、停電中はノートPCを切り替えつつ凌ぐという利用で乗り切りました。
現在のノートPCであれば普通に10時間以上は使えますし、中には20時間や24時間稼働を謳う製品すらあります。それらの技術もまた、震災によって人々が学んだ「電力危機をどう乗り切るか」「省電力性が如何に重要か」という視点が要因の1つであったことは間違いありません。
日本の企業でデスクトップPCからバッテリーを搭載したノートPCへのシフトが大きく進んだのも震災後でした。停電によってPCが使えなくなることの恐怖と多大な損失を嫌った結果です。
■スマホの普及とバッテリー問題
ノートPC以外のモバイル機器の電力確保も大きな問題でした。
2011年3月といえば、iPhone 4がブームになりつつある時期。とは言え日本でスマホブームが本格化するのはiPhone 4S以降であり、前述のようにフィーチャーフォン全盛の時代でもあったため、バッテリー持続時間が長いフィーチャーフォン利用者の場合、あまり問題にならなかった可能性もあります。
当時のモバイルバッテリーは1,500mAhや2,000mAhといった容量が一般的で、3,000mAhもあれば大容量と言われていた時代です。筆者はモバイルバッテリーマニアでもあったことから、当時としては珍しいソーラー発電式のモバイルバッテリーを持っていましたが、容量は1,600mAhと少なめで、当時のiPhoneでも1回満充電するのがギリギリといったところでした。
家中のモバイルバッテリーを掻き集め、計画停電の合間にできる限りの充電を行い、布団にくるまって寒さに耐えながら、iPhone用のワイヤレスTVチューナーを使って震災ニュースを見ていたのを思い出します。
災害時におけるモバイル機器のバッテリー充電問題や通信途絶の問題は、その後スマホの普及とともに大きな問題となっていきます。
通信各社は災害対策としてバッテリー充電設備を用意するようになり、地域のキャリアショップは充電ステーションとして活用されるようになります。自治体とも連携し、市役所や学校などにもバッテリー充電設備が常備されるようになりました。
通信各社は通信設備の災害対策も進め、移動基地局車両の配備や早急な復旧が行える体制作りを急ぎます。例えばNTTドコモの場合、現在では年間に100億円近い予算を組み、モバイルネットワークの維持や災害対策に努めています。
■自然災害にテクノロジーで挑み続ける
オンラインサービスもまた、災害情報の早期伝達に大きく貢献するようになりました。
震災当時は情報の入手手段の多くをラジオやTVに頼っており、SNSは「嘘や不確定情報が飛び交う危険な場所」という認識が大半でした。
しかしその後、震災を堺に災害情報を専門に取り扱うTwitterアカウントや災害情報専門アプリが数多く登場もしくは再評価され、人々を正しい情報へ導く役割を果たし始めたのです。
かつては巨大災害の発生で電気も通信も途絶し、人々は無力さに打ちひしがれるばかりでしたが、当時と比較すれば現在の日本は驚くほど頑強に、そして対策も経験も豊富になりました。
「こんなこともあろうかと!」などという台詞は最近のアニメではあまり聞かれないかもしれませんが、震災から今日までは「こんなこともあろうかと!」と備える10年であったと筆者は感じています。
当時の必死さや人々の努力も10年経てば記憶の彼方かもしれません。しかしながら、その努力によって生まれた技術やサービスが、現在の私たちの生活を大きく豊かに、そして安全にしていることは間違いないでしょう。
最後に、このコラムを執筆している最中に入ってきた最新情報を書いて締めとしましょう。
JR東日本は3月5日、2002年より新幹線や特急列車の車内テロップで提供してた文字ニュースを3月13日以降に終了すると発表しました。スマホやタブレットの普及がその大きな理由とのことです。
震災から10年、私たちの生活はパラダイムシフトと呼べるほどの通信と端末の大変革を経て、誰もが瞬時に最新の情報へアクセスできる世界を構築しました。電車内や駅構内の電光掲示板に情報を求める人はほとんど居なくなったのです。
ほんの少し寂しさがありつつも、このニュースが示すものは、私たちの生活水準が情報取得に関する一段上のステージへと進んだという証明でもあります。
誰もがスマホを手に持ち、どこに居ても世界と繋がっている社会。公共の交通インフラが情報の提供を停止するということは、つまり路線内での情報の断絶は今後起こらないという自信の現れでもあります(もしくは、スマホが繋がらない状況では電車のニュース配信も止まっている状況だから災害時の情報手段として考える意味がない、とも取れる)。
世界は今、コロナ禍による未曾有の危機に晒されています。日本の10年を振り返ってみても、さらなる地震や台風・洪水など、ありとあらゆる災害が毎年のように襲いかかっています。
それでも人々の生活の質が水準として大きく下がることはありませんでした。人々は必死に災害と戦い、災害に備え、その手段として技術を磨いて進化させ続けてきたのです。
平坦に言ってしまえば、テクノロジーは生活を豊かにするための道具かもしれません。しかし2011年以降の日本人にとって、その定義は若干異なっていたはずです。テクノロジーが災害を減らし、テクノロジーによって災害に立ち向かう。そんな意味もまたあったはずです。
IoT、AI、xR、ドローン、自動運転車、そして5G。通信に関わるテクノロジーだけでも大きな進化がまだまだあるでしょう。そしてそのいずれも、災害対策に活かせないかと日々研究され続けています。
さらに5年後、10年後。現在研究しているテクノロジーがさらなる災害対策として実を結び、大きく育ち、開花することを期待せざるを得ません。
記事執筆:秋吉 健
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