PCと若者の関係について考えてみた!

東芝クライアントソリューションは3日、都内にて中期経営計画に関する記者発表会を開催し、2019年1月1日より社名を「Dynabook株式会社」へと改め、同社の主力PCブランド「dynabook」をさらに強力に押し出すブランド戦略を発表しました。かつてソニーが「VAIO」ブランドで展開していたPC事業を切り離し、VAIO株式会社を設立して「VAIOのVAIO」を作ったように、新たに「Dynabookのdynabook」が登場することになります。

dynabookブランドは実に劇的で数奇な経緯を持ちます。かつては東芝の看板事業として花咲いた時期もありましたが、東芝本体の経営危機に端を発する分社化によって2016年に設立された東芝クライアントソリューションへとブランドが移り、今年10月にはシャープへと株式の80.1%を譲渡してシャープグループの傘下となりました。

筆者はDynabook(dynabook)ブランドへ少なからぬ思い出があります。かつて大学生の頃、世間では「VAIO PCG-505」のヒットによってB5サイズの薄型ノートPCが「銀パソ」の愛称でブームとなり、筆者も卒論を書くために初めて自分のバイト代で購入したのが、当時の「DynaBook SS PORTEGE 3010」でした。

今そのスペックを見てみればあまりのチープさに目が眩みそうですが、それでも当時は最先端中の最先端。厚さわずか19.8mmの銀色に輝くノートPCは、スマートフォン(スマホ)どころか携帯電話すらもまだまだ普及しきっていない時代において、モバイルデバイスの華だったのです。

しかし時代は変わりました。今や学生諸氏にとってモバイルの最先端はスマホであり、しかも華でも何でもなく誰もが普通に持っているものです。スマホやタブレットが当たり前となるにつれ、「パソコンなんて要らない」、「欲しいと思わない」、「スマホで十分」という人も増えてきたように思います。しかし実際はどうなのでしょうか。本当にPCは個人が所有する必要のないものになってしまったのでしょうか。

感性の原点からテクノロジーの特異点を俯瞰する「Arcaic Singularity」。今回はPCと若者の関係をデータから検証しつつ、これからのPCの在り方について考察します。

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筆者が自費で初めて買ったPC「Dynabook SS PORTEGE 3010」。銀パソブームは各社から名機を次々と生み出した


■若者はPCから「離れていない」
もうすぐ平成も終わるこのご時世、「若者の◯◯離れ」などという言葉が流行ったのも遠い過去のように感じますが、その一例として数年前に挙げられていたのが「若者のパソコン離れ」だったのを記憶しています。

スマホが高校生や大学生の必需品となり、コミュニケーションツールやエンターテインメントツールの主力として台頭してくると、大手メディアは「今の若者はスマホで論文を書く」とか、「パソコンを使えない若者が急増」などと囃し立てました。

実際にそういう若者たちが登場してきたのは事実だと思いますが、果たしてそれは一般的な若者像として適切だったのでしょうか。

NECパーソナルコンピュータが2017年2月に公開した「大学生(1年生~3年生)・就職活動経験者(大学4年生)、人事採用担当者を対象とするPCに関するアンケート調査」によると、大学生の9割以上が何らかの形で自宅にPCを所有しているという調査結果が出ています。

自分専用のPC(デスクトップ、ノート合算)の所有率だけを見ても、大学1~3年生で7割以上、就職活動経験者(大学4年生)では実に8割以上の学生が自分専用のPCを所有しています。

つまり、「若者はPCから全く離れていない」のです。あまりにも昔過ぎて比較するのもおこがましくはありますが、筆者の学生時代と比べれば、むしろ圧倒的にPCが身近にある世代なのです。

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大学生のほとんどが自宅でPCを使える環境を持っている(アンケート調査より引用


ただし、PCスキルに関しては不安を感じている若者は多いようです。同調査によれば、PCスキルにを所有している学生のうち、PCスキルに自身があると答えた大学生は約4人に1人。7割前後の人が「PCスキルは必要だと思うが、自信はない」と答えており、PCを所有しているもののあまり使いこなせていない現状が伺えます。

一方でPCスキル自体を不要だと感じている人は全体でもわずかに3~4%程度であり、「PCなんて必要ない」と考えている人が圧倒的に少ないことは大きな救いと言えます。

大学生のみなさんは、PCの扱い方を覚えたほうが良いのは分かっていても、覚えるまでの敷居が高いと感じているだけのことなのです。

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若者がPCから離れているなどというのは、ただの思い込みだ


■理解するのが面倒なPCの「作法」
企業側の人間(新卒採用者)が感じている大学生のPCスキルの不足や、「マウス操作も分からない新人がいた」、「マウスではなく、画面をタッチするとカーソルが動くと思いこんでいる」といった、アンケート調査にも書かれているような仰天エピソードについては、単なる極一部の印象が強調されているに過ぎないと筆者は考えていますし、突出したピークを持たない調査結果もそれを裏付けています。

スマホ&タブレット全盛の現代において、そもそも「マウス」や「カーソル」という概念がもはや20世紀の遺物なのです。タッチパネルディスプレイが当たり前であり画面上に示されたボタンを指で触って操作することが基本となった今、わざわざ専用の入力デバイスを動かし、ポインターをボタンの上に移動させてクリックするという「作法」が意味不明すぎるのです。

本来であれば、時代の流れに適応する形でPCが進化しなければいけなかったのです。しかしPCは現代の世界を動かす根幹たるビジネスツールであり、多くのビジネス(経営)の現場での判断は保守的です。「作法」を根底から覆すような変革よりも、現状の技術を継承し続ける方法を好みました。

現代の若者は、スマホとPCという全く異なる作法を持つデジタルデバイスを1から同時に覚えていかなければならないのです。それは意外と大変なことかもしれません。PCに至ってはフォルダやらファイルやらシステム管理やらと、その動作構造や仕様すらも覚えないと動かすことすらままならないのです。これでは若者たちが「めんどくさい……スマホでよくね?」と諦めてしまうのも無理はありません。

PCは、スマホのように「なんとなく触って分かる構造」にはなっていないのです。

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そもそも若者に限らず、この大量に存在するキーの意味を全て知って使いこなしている人がどれだけいるだろうか


■「誰もがPCを使える世界」へ挑むPCメーカー
しかし、それでもPCメーカーは若者への訴求を辞めるわけにはいきません。NECは「PCとは、愛だ。」をスローガンに掲げ、若者や一般消費者がPCで不満を感じているボトルネックを徹底的に洗い上げ、ひたすらに快適で存在が邪魔に感じないPCづくりを目指しはじめました。

日本の教育現場においても2020年からのプログラミング教育の必修化が決定され、マイクロソフトやレノボもまた教育分野へのPCの浸透を推し進めています。PCはビジネスに必須の道具でありながら、正しく扱うための知識が大量に必要であるという矛盾した弱点を持つからこそ、学習能力の高い子どものうちから慣れさせ、同時に論理的思考を養わせようというものです。

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NECの愛は、人々に伝わるか


若者も企業も教育現場も、PCが人々に必要でありそのスキルを覚えることが重要であるとしているのに、なぜメディアは「若者のパソコン離れ」などという言葉を感覚のみで流行らせてしまったのか。筆者はそこに強い憤りを覚えます。

言葉は言霊です。パソコン離れだのなんだのと揶揄され続ければ「そうかもしれない」と感じる人も増えるでしょうし、「PCから離れはじめている」ことを前提にした連想をしてしまうために、非常に稀でネガティブな若者像すらも一般化しがちです。

社会が今若者にすべきことは、ステレオタイプなネガティブイメージのレッテル張りではなく、人々が持つPCへのネガティブイメージをどう変えていくのか、という部分ではないでしょうか。

そのためには教育も然ることながら、PC自体がもっと使いやすくシンプルな構造とUIデザインへと進化する必要があるでしょう。またスマホやタブレットとの親和性を高め、密に連携して使えるアプリ環境を整備していくことも必須になるでしょう。

スマホやタブレットがどんなに便利に進化し、どんなに使いやすくなったとしても、これまでの30年間で携帯電話やスマホがビジネスシーンにおいてPCの代替とならなかったように、少なくともこの先30年程度はPCがビジネスの主役であり続けると筆者は考えています。

今10代の若者たちが30年後にビジネスの第一線でPCを使いこなせているためにも、人と道具の両面から鍛えていかなければなりません。

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難しく考える必要はない。子どもたちが楽しく遊びながら使い方を学べる環境を考えればいい


■「ダイナブック構想」は終わらない
かつて筆者が愛したPCのブランド名「dynabook」は、米国の科学者アラン・ケイ氏が、この世界にまだ小型の民生用コンピュータすらない時代に個人用のコンピュータである「パーソナルコンピュータ」の概念を提唱し、私たち1人1人がパーソナルコンピュータをいつでもどこでも手帳のように持ち歩いて利用できる環境を「ダイナブック構想」として提唱したことから取られたものです。

20年前であれば、それはまさにノートPCが実現するものだと思っていました。しかし現在、本当の意味で人々がどこにでも手帳のように持ち歩き、常時世界の人々と繋がった環境を提供しているのはスマホです。おそらく、そこにPC(ノートPC)が再び返り咲くことはないでしょう。

しかし、この先PCがスマホと融合し新たなモバイルデバイスとして生まれ変わる可能性は十分にあります。スマホの高度化とPCのシンプル化の行き着く先に、それほど違いはないと考えるからです。そしてそれは、PCともスマホとも呼ばれない新たな「何か」になるかもしれません。

そんな時代を作る人々こそ、今の若者たちです。スマホを使いこなし、PCの不便さに四苦八苦しつつも必死で使い倒した先に生み出すものが、スマホの手軽さを持ったPCである可能性はとても高いと筆者は考えます。そうなるためにも今、PCの普及の手を止めてはならないのです。

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未来のダイナブック構想を実現するのは、若者たちだ


記事執筆:秋吉 健


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