監視社会は是か非か。IoT技術がもたらす未来とは……。

「フィンチ、どうやらあの坊やは少々厄介事に首を突っ込んでいるようだ。」ジョンは耳に装着した超小型の無線機に触れると小さくそうつぶやき、ターゲットとなった人物が表示された手元のスマートフォン(スマホ)を操作した。するとターゲットが持つスマホとBluetoothペアリングが開始され、会話の内容が盗聴できるようになった――。

これは2011年からアメリカで放映されていたTVドラマシリーズ「パーソン・オブ・インタレスト」の冒頭によくある一幕です。同ドラマでは「マシン」と呼ばれる人工知能システム(AI)がニューヨーク中の防犯カメラ情報を取得して犯罪を「予知」し、犯罪を食い止めようとする主人公たちへその犯罪に関わる人物の「番号」を教える、という流れでストーリーが進みます。

ドラマの紹介をしたい訳ではないのでここでは割愛しますが(とても面白いのでオススメです!)、AIによる監視社会という近未来像を、単なるSFではなく現実社会で起きている問題に絡めながらシナリオ化したという点で、観るものに得も言われぬ不気味さと深い考察を与えてくれたことは間違いありません。

話を現実の日本へ戻しましょう。現在の日本ではIoT(Internet of Things=モノのインターネット)があらゆる産業界の大きなブームとなりつつあります。IoTと言ってもまだまだピンとこない人も多いかと思いますが、早い話が「ありとあらゆるものにセンサーを付けて情報を可視化する」ことです。例えばオフィスビルの利用者をWi-Fiタグや防犯カメラで把握し空調を適切にコントロールすることでビルの管理コストを削減したり、物流倉庫の商品1つ1つにRFタグを取り付けることで管理を効率化することなどが挙げられます。

こういったIoT技術を使った効率化がブームとなる一方で、生活の中にありとあらゆるセンサーが配置されることについて懸念を示す声も少なからずあります。防犯カメラによるプライバシーの侵害などは最も分かりやすい例ですが、例えばネットの利用履歴やGPS情報などのライフログから生活支援を行うようなAIアシスタントの存在すらも、ともすればプライバシー情報の収集行為だと批判されかねません。

果たしてさまざまなセンサーに囲まれたIoT社会はディストピアとしての「監視社会」となってしまうのでしょうか。感性の原点からテクノロジーの特異点を俯瞰する「Arcaic Singularity」。今回はそんなIoT技術の目指す未来や監視社会がもたらすメリットやデメリットについて考察したいと思います。

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安全とプライバシー。皆さんはどう考えますか?


■「個人」を特定しない「ビッグデータ」という考え方
はじめに、IoT社会を語るにはプライバシーの在り方や保護について考えなければいけません。日本では2003年に「個人情報の保護に関する法律」、いわゆる個人情報保護法が成立し2005年に全面施行され、個人情報の取り扱いに関して細かな規定と違反した場合の刑事罰などが定められました。

それまでの個人情報の取り扱いは「非常に雑」の一言で、例えばある特定の企業が顧客情報を管理していたとしても、それを他社へ横流ししたり自社の別業務へ流用するといったことは当たり前に行われていました。この個人情報保護法の施行によりそういった雑な扱いは難しくなり、個人情報をどのように利用するのか、またその管理体制などを利用者へ開示する義務が課せられるようになりました。

しかし、それでも個人情報はさまざまに流用されています。例えばポイントカードです。流通業界や通信業界ではポイントカードの相互利用や提携が進み、どこでどのような客層がどのようにポイントを使ったのかがビッグデータとして集積され商品管理や集客に利用されます。ここで重要なポイントとなるのは、収集・集積された情報は敢えて「個人」を特定せずビッグデータとして利用している点です。そうすることで法律に抵触しないようにコントロールしているのです。(※ビッグデータの取り扱いに関しては現在も議論が続いており、第三者によるデータの不正利用の防止策などを盛り込んだ法律の改正案が1月22日に通常国会に提出される見通しです。)

IoT技術にも似た側面があります。「誰が」どこで何をしているのかを特定し管理しようとするとプライバシーの侵害などに当たる可能性が出てきますが、例えばWi-Fiタグを持った「利用客」が施設内でどのように行動したのかを追跡することはプライバシーに抵触しません。逆に言えば、巨大な流通ビジネスにおいては個人が何をするのかはあまり大きな意味を持たないのです。購買層や消費者といった「カテゴリー」もしくは「グループ」が何をするのか、どう動くのかということが最も重視されるのです。

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ビッグデータを有効活用する企業が急成長している(画像は楽天)


防犯カメラは個人の姿を直接監視するため、もう少しセンシティブな取り扱いが必要になります。例えばオフィスの会議室に防犯カメラを取り付けることは問題ないでしょうか。会議室を公共の場とするのか、それともプライベートな空間とするのかというだけでも意見が分かれそうなところですが、その録画されたビデオ情報をどう取り扱うのかという点でも大きな議論を呼ぶでしょう。

しかし、だからといって「監視はすべきではない」と思考停止に陥っても良いというものではない時代へと突入しているのも事実です。

■痴漢冤罪と防犯カメラ
映画「それでもボクはやってない」の主人公・金子徹平は、痴漢に間違われて逮捕・起訴されてしまいます。しかしこれは話は映画の中だけのお話ではありません。むしろ現実に痴漢冤罪事件が少なからず起こっているからこそ大きな話題となった映画作品です。

痴漢の冤罪はなぜ起こるのでしょうか。それは痴漢する人がいるからであり、満員電車という都市部特有の社会問題がその引き金になっている点は間違いありませんが、もう1つ大きな理由として「抑止力が存在しない」という点があるように筆者は考えます。

痴漢に限らず万引きや空き巣といった犯罪は、人々が見ている前ではほぼ起こり得ません。誰かが見ている前で堂々と物を盗む人がいるでしょうか。満員電車で痴漢が起こりやすいのは、人々の目が行き届かず、また「誰かが監視している」という前提が存在しないため(≒誰も見ていないという安心感によるもの)です。もし電車の各車両の天井に防犯カメラが複数設置され、上部から全ての人々の様子が録画されていたとしたら痴漢行為が激減する可能性があります。そこに映っているかどうかよりも、「監視されている」と人々が考えること自体が大きな抑止力となるのです。そしてもちろん、万が一犯罪が起こされたとしても証拠として利用できる最大のメリットも存在します。痴漢冤罪も当然減少するでしょう。

しかし、ここで問題になるのは個人のプライバシーです。果たして電車の中で人々の様子をカメラで監視・録画して良いものでしょうか。筆者個人としては、電車の中は公共の場であるという考え方から防犯カメラを設置すべきであると考えています。確かに個人のプライバシーに関わるスマホの情報や重要な書類の内容が録画され鉄道会社によって悪用される可能性もありますが、そのリスクよりも痴漢犯罪の抑止と痴漢冤罪の立証に役立つというメリットを前向きに検討したいのです。

そして個人の側としても、プライバシーに深く関わる行為や行動は公共の場では控えるか、監視されても良いレベルにコントロールすべきであるというのが筆者の考えです。

防犯カメラの常設は単なる犯罪抑止や冤罪低下だけに留まらず、女性専用車両の必要性も薄めてくれます。女性専用車両の存在については性差別であるという意見も多く聞かれる中で、その最大の存在理由である「痴漢から守る」あるいは「痴漢行為をさせない」という手段を防犯カメラに委ね女性専用車両を廃止してしまえば、本来不要であった差別議論も排除できます。電車を利用する男女の扱い方に差を作るから問題なのであり、利用者全員を公平に監視してしまえば差別は存在しない、という発想です。

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電車に防犯カメラは「アリ」か「ナシ」か


■人間の社会は元々「監視社会」だった
ここで視点を変え、監視社会という概念について考えてみます。そもそも人間はコミュニケーションによって集団化し、組織による社会を形成して生きている動物です。それは互助的関係以上に「お互いを監視しあう」ことが社会の秩序や規律を保つ重要な要素になっています。

例えば、ある組織で規律を守らず自分勝手に行動するメンバーがいたとします。そのメンバーのせいでプロジェクトが遅延したり作業が中断したとしたらどうでしょう。他のメンバーは黙ってそれを受け入れるでしょうか。そんな甘い組織はありませんよね。メンバー同士が「協力」しあいプロジェクトを前進させるために、自分勝手な行動をするメンバーが発生しないか「監視・監督」するはずです。ここに監視社会を考える重要な鍵があります。

監視社会という言葉ばかりが先行し、とても怖いイメージを持つ人も少なくありませんが、その実態は普段の生活や仕事の延長線そのものです。朝子どもを起こしに行く母親の行動も、子どもがちゃんと起きて学校へ行くことを見届けるための監督・支援行為の1つです。仕事で部下がちゃんと作業をしているか進捗確認するのは最も端的で重要な上司による監督作業です。最近では通学途中の子どもたちがすれ違う大人へ「おはようございます」と挨拶をすることを奨励している地域も多くあります。挨拶そのものが監視と犯罪抑止の手段として有効であると考えるからです。

人々は意識していようといまいと、そういった普段の行動1つ1つでお互いを認知・監視しあって社会を構成し、安全で規律の整った生活を送っているのです。そしてその先にあるのがIoT技術です。IoT技術はこれらの相互監視の社会をさらに一歩進め、より安全で効率的な社会の構成を目指すものです。決してプライバシーを監視し人々の生活を抑制するための道具ではないのです。

これまでの人間社会においても、こうした監視社会によるデメリットが生まれてきた過去はたくさんあります。村の掟を破ったとして村八分にされたり、本来人々を守るべき自警団が暴走し圧政状態を敷くといった話は分かりやすい例でしょう。これらは監視行為そのものが悪いのではありません。監視を行う人間の資質や道徳観に問題があるのです。同じように、IoT技術も扱う人間側の道徳観や資質を大きく問われる技術となることは十分に予想できます。だからこそ個人情報保護法のような厳格な罰則付きの法律が必要となるのです。

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人は「社会」を作り生きている


■監視する目を人からAIへ
現在の日本は核家族化や少子化、単身世帯の増加、都市部への一極集中による人口密集などが要因となり、社会の無関心化と地域互助文化の崩壊が大きな問題となりつつあります。「倒れている女性を助けても痴漢扱いされるから無視するのが一番」などと皮肉を言われるのも無理はありません。そんな「無視が一番」の社会で最も得するのは犯罪者です。誰も見ていない、気にしていないと分かれば空き巣も不法投棄もし放題です。

そんな現代社会を一気に健全な互助社会へと戻す方法は今のところ見つかっていません。だからこそIoT技術なのです。道路や鉄道、公共施設、駐車場、オフィスビルなど、公共の場(もしくは個人の場ではない)として考えられる場所においては、個人のプライバシーよりも安全と利便性を優先し、「誰がどこにいるか」ではなく「そこで犯罪が行われていないか」をマクロ的に監視する未来は必要であると考えるのです。監視する役目を人の目と頭脳からIoTセンサーとAIへと変えていくのです。

TVドラマ「パーソン・オブ・インタレスト」では、社会を監視するAIシステム「マシン」は存在すべきか否かがストーリー全編において問われ続けます。主人公のジョンやフィンチはその狭間に立ち、マシンの存在理由に悩みながらも「人を助ける」という自らの信じる正義のために行動し続けます。このドラマが描いた世界はもはやドラマの中だけの話ではなくなりつつあります。

私たちの社会は高度化と高密度化によりお互いの秩序を人間の目だけで監視できる限界を超えようとしています。いや、もしかしたら既に超えているかもしれません。AIによる判断は人間よりもより正確で公平性を持たせられる可能性があります。疲労やストレスを感じないため、人間であればミスを起こしやすい状況や24時間監視のような過酷な環境も得意です。法や規律に基づく判断をAIに学習させ、IoT技術によって繋がった各種センサーや防犯カメラが公共の場でのセキュリティとして機能する。それはこれからの日本が目指すべき未来ではないでしょうか。

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人々が安全に暮らしていくための手段としての「監視社会」は必要かもしれない


記事執筆:秋吉 健


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