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ストリーミング配信サービスのリスクについて考えてみた! |
筆者は無類の音楽好きです。古いタイプの人間なのでCDを何百枚も所有し、お気に入りの曲をPCでリッピングしてはiTunesへ溜め込み、今では5000曲ほどがiTunesに入っています。アートワークもiTunesで検索しては貼り付け、その膨大なコレクションを眺めて楽しむコレクターでもあります。
そんな筆者の音楽コレクションには、ぽっかりと穴が空いたようにアートワークが貼られていないアルバムがいくつかあります。ASKA(飛鳥 涼)氏の楽曲です。彼はかつて覚せい剤を使用した罪で逮捕され、その際に楽曲を配信していたAppleが自主規制として楽曲やアートワークの配信を止めたため、PCを新調した際にダウンロードしたはずのアートワークも消えてしまったのです。
あれから数年。彼の曲はストアにも復活し、同時にアートワークも復活したはずなのですが、何の不具合なのか幾つかのアルバムでは未だにダウンロードできずにいます。
ネット上で適当に画像検索したり、自前のCDジャケットからスキャンして手作業で貼り付けることは容易なのですが、「歌手が犯罪を犯すとその作品まで世界から抹消される」という事実を忘れないために、敢えてアートワークは空白のままにしています。
感性の原点からテクノロジーの特異点を俯瞰する「Arcaic Singularity」。今回は音楽や創作物と犯罪、そしてストリーミング配信の時代に潜むリスクについて考察します。
■日本を震撼させた「ピエール瀧事件」
筆者が最近になってこの問題を再び考えるきっかけとなったのが、テクノバンド「電気グルーヴ」のメンバー、ピエール瀧氏がコカイン使用の疑いで逮捕されたことでした。
すでに3週間近くも前の事件となり、人々の話題からも消えつつあることに驚くばかりですが、今更この事件について多くを語る必要はないでしょう。ニュースやワイドショーなどで事件の周辺は語り尽くされています。
この3週間の間に様々なことが起こりました。まず楽曲の配信が停止されました。これはASKA氏の時にも起きたことです。筆者は電気グルーヴのアルバムを持っていなかったので実害はありませんでしたが、ファンは大いに悲しんだことでしょう。
ドラマや映画の配信も停止しました。まるで彼が芸能界に存在していなかったかのように封印したのです。その是非はともかくとして、それだけピエール瀧という人物が今のTVメディアに大きな影響を与える人物だったという証拠ではあります。
今回特徴的だったのは、彼をモデルとして起用したセガゲームスのゲーム「ジャッジアイズ」が、出荷およびDL販売の停止、製品HPの掲出取りやめなどを行った点です。関係者の逮捕でゲームの出荷や配信が停止することは非常に稀で、セガゲームスではまだ販売の行われていない海外版について、当該キャラクターのモデルを差し替えて販売することを検討しています。
ピエール瀧氏の事件のあと、考えさせられるツイートを見つけました。それは「いつも聴いていた電気グルーヴの楽曲が聴けなくなった」と嘆く声です。
いくらなんでもDL販売された楽曲が配信停止によって聴けなくなることなど今のビジネスモデルではあり得ないと思い、ツイートを詳細に読んでみれば、どうやらストリーミング配信サービスの曲をオフライン保存していたものが聴けなくなった、ということだったようです。
この一文を読み、「なんだ、それなら仕方がない」と感じた人と、「え、どうして?」と疑問の消えない人とが、それぞれにいるのではないでしょうか。そのツイートにも「購入した楽曲が聴けなくなるなんて!だからネット配信は信じられないんだ!」と憤慨している人は、少なからずいるようでした。
■ストリーミング配信という「罠」
楽曲が配信停止されたとしても、それまでに購入していた楽曲については、iTunes StoreでもGoogle Play ストアでも、基本的に聴けなくなることはありません。その場合に聴けなくなるのは「Apple Music」や「Google Play Music」などのストリーミング配信サービスです。
多くのストリーミング配信サービスでは電波状態の悪い場所や電波の届かないところでもサービスを利用できるように、利用する端末へあらかじめダウンロード保存しておくオフライン機能があります。
前述したツイート主は、このオフライン機能を楽曲購入と勘違いしてしまったのです。ストリーミング配信サービスは楽曲を購入できるサービスではなく、飽くまでも「楽曲を聴く権利」を購入しているに過ぎません。
筆者のようにカセットテープやCDの時代から音楽を楽しんできた人間であれば、そういった販売方式や契約形態の違いについても自然と詳しくなり知識も身につくところですが、ストリーミング配信サービスによって初めて音楽を聴く楽しみに触れた中学~高校生あたりの世代にしてみれば、自分が購入していたものが音楽そのものではなく、それを聴く権利だけであったなどと考えもしなかったとしても不思議ではありません。
先週のコラムではGoogleのクラウドゲーミングサービス「STADIA」について書きましたが、ああいったクラウドゲーミングサービスでもストリーミング配信サービスと同じようなリスクが存在します。
例えばジャッジアイズをユーザーがSTADIAでプレイしていたとして、ピエール瀧氏の事件によってその配信が停止されたとしたらどうでしょう。音楽であれば聴けなくなるだけで済みますが(それも非常に悔しい話だが)、ゲームの場合、やり込み攻略中であろうとエンディング直前であろうと、容赦なくゲームが遊べなくなるのです。
ゲームそのものを買っているのではなく、「ゲームを遊ぶ権利」を買っているだけのストリーミング配信サービスでは、配信企業やプラットフォーマーの都合によって簡単にその権利は剥奪されるのです。少なくとも、その覚悟は常にしておかなければいけないサービスでしょう。
■コンテンツとの付き合い方を考える時代へ
かつてASKA氏が逮捕された時、大ファンであった筆者は大いに悲しみ、彼に「どうしてそんなことをした」と激怒した一方で、彼のCDを手元に持っていたことに感謝もしました。
当然事件直後はその楽曲を聴く気分にもなれませんでしたが、1ヶ月もすればまた聴きたくなるであろうことは分かっていましたし、その時ラジオやストリーミング配信サービスで彼の曲が流れなくなるであろうこともまた、すぐに理解したからです。
ストリーミング配信作品が何かのタイミングで利用できなくなるというのは、音楽に限ったことではありません。映像作品や書籍、ゲームなどでも十分に起こり得る話であり、そして実際に起こっていることです。
犯罪者の作った曲だということがあとから発覚しただけで、世の中の何かに悪影響を及ぼすとは到底考えられませんが、そういった自粛を企業側が行うこともまた自由であると考えます。その企業活動の決定自体を責めても始まりません。
だからこそ、本当に大事な作品は確実に「購入」しておかなければいけないのです。便利で安価なクラウドサービスが氾濫する時代だからこそ、本当に大切なものを吟味して「所有」するスキルが求められるのです。
ストリーミング配信サービスに限らず、現在のオンラインサービスの多くは一過性の強いものばかりです。SNSでは常にタイムラインが流れ続け、ニュースも噂もデマも、何もかもが一瞬で流れていきます。Instagramを見ても美しく加工された自撮り写真が次々に流れていき、次の瞬間には誰が何を撮っていたのかも思い出せないほどです。
映像作品や音楽作品が、そのような一過性の娯楽に紛れてしまうことが、コレクター気質の強い筆者にはとても寂しく感じるのです。「あの作品どこだったかな」と思い出しても、出演者の犯罪のせいで検索にすらヒットしなくなる時代はもう来ているのです。
オンラインサービスの終了や配信停止によって、各種作品や情報そのものがアーカイブできないという問題も徐々に大きくなりつつあります。作品が歴史に埋もれるのではなく、歴史から抹消されてしまうのです。
余談にはなりますが、奇しくもこのコラムが掲載される(であろう)3月31日は、ホームページサービス「ジオシティーズ」のサービス最終日となります。25年間も続いた同サービスは今日をもってネット上から消失し、そこに存在したはずの情報の多くはこの世界から完全に消えます。
古いサービスは終了し、新しいサービスはアーカイブされることなく流れていく。かつてはすべての情報が永久保存されると考えられていたインターネットの世界は今、情報が消えていく危機に直面しているのです。
買ったはずの曲が聴けない。観たかった映画がどこにもない。大好きだったゲームが遊べない……。そんな悲しい世界がこれ以上広がらないように、コンテンツとの正しい付き合い方も学ばなければいけない時代なのかもしれません。
記事執筆:秋吉 健
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