映画館の今とこれからについて考えてみた! |
8月初旬、海外でちょっとした騒動がありました。新型コロナウイルス感染症問題(コロナ禍)によって公開が延期されているウォルト・ディズニー(以下、ディズニー)の実写映画「ムーラン」についてオンライン動画配信サービス「Disney+」(ディズニープラス)で9月4日より先行有料配信を行うことが決定し、これに映画館関係者が強く抗議したのです。
ディズニー側はこの先行有料配信を「今回限りの措置」としていますが、劇場公開よりもネット配信を先行させることへの映画館業界からの反発の声は大きく、フランスの映画館ではムーランの店頭POPを破壊して抗議するなどの騒ぎに発展しました(※一部映画館では9月4日より公開を予定しています)。
映画館業界もまたコロナ禍によって大きな打撃を受けた業界の1つですが、今回の騒動の裏にも時代の潮流や映画という媒体ならではの複雑な事情がいくつも重なっています。感性の原点からテクノロジーの特異点を俯瞰する連載コラム「Arcaic Singularity」。今回はムーランをめぐる騒動を中心に、映画館業界の今後や動画配信サービスの「今」について考察します。
■夢と魔法の王国を襲った過去最大の危機
今回の騒動の裏には、ディズニー自身の厳しい経営状況やストリーミング動画配信の隆盛、そして映画館業界の技術的進化といった、複数の要因が複雑に絡んでいます。
はじめに注目すべきはディズニーの台所事情です。米ウォルト・ディズニーが8月4日に発表した2020年4~6月期決算によると、最終損益では47億2100万ドル(約5000億円)の大幅な赤字を計上しました。赤字転落は2001年1~3月期以来となり、実に19年ぶりです。
コロナ禍によるテーマパークの休園や閉鎖が最大の原因で、次いで映画館の営業自粛や縮小営業による興行収益の減少が大きく響きました。
日本の東京ディズニーリゾートにおいても、2020年4~6月期決算では売上高が61億円で、前年同期比では実に95%減という過去最大の減少幅となり、営業損益は156億円の赤字を計上しました。
これまで娯楽産業の王者として君臨していたディズニーブランドですが、コロナ禍によって「不要不急」の矢面に立たされ、突然訪れた危機に全く対応できず急転落したのです。
ディズニーに限らず、この状況に座してただ死を待つような企業などどこにもないでしょう。ディズニーが新作映画の先行オンライン配信を決定したのも、そういった非常事態だからこその決断だったと思われます。
冒頭でも書いたようにディズニー側が「今回限り」としたのも、苦しい台所事情の打開と映画館業界への配慮による「ギリギリの選択」によるものですが、それでも映画館業界からの反発の声は予想以上に大きかったというところでしょうか。
■密かに進化していた映画館業界
コロナ禍は確実に映画館やテーマパークといった娯楽産業の構造を根本から破壊しかけていますが、しかし映画をめぐる変革の動きはそれ以前から始まっていました。その急先鋒こそがオンライン動画配信サービスです。
2020年2月にICT総研が公開した「2019年 有料動画配信サービス利用動向に関する調査」によると、日本国内における有料動画配信サービス利用者数は2016年末には1160万人でしたが、その後定額で見放題となるサービスが大きく需要を伸ばし、2019年末には1990万人に、そして2021年末には2360万人に達するとの予測を立てています。
これはコロナ禍の影響を加味していない数字であり、外出の自粛やテレワークの激増、自宅から楽しめる娯楽への需要増などを総合すると、オンライン動画配信サービスの利用者数の伸びはこの予測よりも高いと考えるべきでしょう。
では、対する映画館の入場者数は年々減少していたかと言えば……実はそうではありません。
2020年1月に一般社団法人 日本映画製作者連盟が公開した「2019年(令和元年)全国映画概況」によると、2019年の全国映画館の入場者数は1億9,491万人で前年比115.2%、興行収入は2611億8000万円で前年比117.4%と、いずれも大きく前年を上回っているのです。これはそれまでの過去最高益を記録した2016年をも上回る数字です。
この大幅な増収を支えたのは、IMAXや4DXといった特殊な上映形態によるプレミアムシアターです。プレミアムシアターは単に「映画を観る」というだけではない、アトラクション的なエンターテインメント性を付加する新しい映画の鑑賞スタイルとして定着しつつあります。
割高な料金にも関わらず利用者が増えて収益増へと繋がった背景には、良質な映画の公開・上映も然ることながら、映画館運営者による「プレミアム感を演出する工夫と努力」が実を結んだ結果と言えます。
そういった背景があるからこそ、今回のディズニーによるムーランの件で激昂する映画館関係者も出てきたのです。日々の努力によって映画を支えてきた業界を蔑ろにするとはどういうことだ、という憤慨です。
■映画を「観る」時代から「体感する」時代へ
2019年までに見られたオンライン動画配信サービスの隆盛とプレミアムシアターによる映画館人気の復調。この2つの動きは、これからの映画業界や動画配信サービスの未来をも暗示してくれる重要な指標となりそうです。
従来型の「観客をできる限り詰め込み、高い回転率によって収益を上げる」といった映画の上映スタイルは、いわゆる「三密」状態を作り出す上に薄利多売的で、ウィズコロナ時代には適さない営業形態です。
また単純に映画を観るだけであれば、誰にも邪魔されず、鑑賞マナーや感染症リスクを気にする必要もない自宅での映画鑑賞に勝るものはなく、オンライン動画配信サービスの一般化によって「映画鑑賞」での映画館の価値は今後ますます相対的に下がっていくものと思われます。
しかし、自宅では楽しめない映画の楽しみ方もあります。それがプレミアムシアターです。眼前を覆う3D映像やドルビーアトモスといったデジタル技術を駆使した新しい映像・音響体験に加え、4DXのように可動シートや送風システムなどを加えてアトラクションとして楽しむ映画は、自宅では絶対に味わえないものです。
しかもこういったプレミアムシアターの上映スタイルではシートごとの距離が離れていて隣の人とぶつかる心配がなく、ゆったりとした空間を演出するとともに、自然なソーシャルディスタンスを保ちます。
ウィズコロナ時代の映画館のあり方とは、自然な形での感染症対策を伴ったオンライン動画配信サービスでは味わえない体験価値の提供にあると考えます。
映画に限らず、アニメやゲームなど映像表現の進化とテクノロジーの進化は常に並走してきました。テクノロジーが進化すれば映像表現も進化し、新しい映像表現のために新しいテクノロジーが使われてきたのです。
コロナ禍が世界を襲った今、テクノロジーはその真価を問われています。そんな時代だからこそ、映画の世界も変わらなければならないのです。それは突然で突飛なものではありません。これまでに積み重ねてきた経験と成功体験の先にこそあります。
ムーランの店頭POPが破壊される動画を観て、筆者は悲しくなったと同時に、今こそ映画館のあり方を変える絶好のチャンスだとも感じました。単なる「視聴」のための場所という概念と文化は、もはや捨て去るべきです。それはテレビやインターネットの世界で完結できる時代だからです。
映画館には新たな価値を生み出すだけの力があるはずです。そしてその価値を実現するテクノロジーはすでに存在し、人々を魅了し始めているのです。
「あの映画は、せっかくだから映画館で観よう」……そう感じさせてくれるだけの映画と映画館が世界に広がることを願っています。
記事執筆:秋吉 健
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