コラム連載200回記念!印象に残ったコラムを振り返ってみた! |
筆者がこの連載コラムを書き始めて、今回でちょうど200回目となります。1週も欠かさず書き続けましたので、200週目ということでもあります。最初の寄稿は2017年12月10日でした。
主に時事ネタや技術解説を中心に、筆者が感じたことや技術的に疑問に思ったことなどを調べ、読者の方にも分かりやすく……という思いで結局分かりづらいまま掲載し続けてきてしまったことは反省しきりですが、ただ1つ良かったことを挙げるとするなら「勉強する癖がついた」ということでしょうか。
この4年間、ひたすらにテクノロジーや物事の仕組みについて勉強し続けてきました。それは苦しかったりつまらないことではなく、とても楽しみながら行えました。学生時代に、時々大人から「大人になってからの勉強は楽しいぞ」と聞かされてきましたが、なるほどこういうことかと何度も納得した覚えがあります。
感性の原点からテクノロジーの特異点を俯瞰する連載コラム「Arcaic Singularity」。今回は過去に掲載された199回分のコラムを振り返り、筆者としてとくに印象に残ったコラムや反響の大きかったコラムを4つほどピックアップして、2021年の視点で改めて簡単に考察してみたいと思います。
■ホームボタン廃止論から始まった「気づき」
最初に取り上げたいコラムは、2018年9月16日に掲載された、Appleのスマートフォン(スマホ)シリーズ「iPhone」に搭載されたホームボタンについてです。
【過去記事】秋吉 健のArcaic Singularity:ホームボタンよ、さらば。最新iPhoneシリーズ3機種の性能と機能からホームボタンの存在しないiPhoneの未来を考える【コラム】
本連載コラムが開始された2017年に、はじめてホームボタンの存在しないiPhone「iPhone X」が登場し、このコラムを執筆した2018年には改良版と言える「iPhone XS」シリーズが発売されたことで、いよいよ本格的にホームボタンのないスマホが世界の主流となりつつある頃でした。
このコラムではホームボタンがなくなる意味やホームボタンをなくすことによって何が変わるのかについて語り、未来を予想しましたが、このコラムへの読者の反響の大きさを未だに覚えています。
「ホームボタンがないなら要らない」
「必要なものをなくす意味が分からない」
「そんなに画面ばかり大きくして使いづらいだけ」
この時はまだ人々の間でホームボタンのないスマホへの抵抗感が強く、賛否両論というよりも批判的な意見をTwitterなどで多くいただきました。
やはり、慣れ親しんだホームボタンの便利さや使いやすさへのこだわりは強かったようです。
あれから3年が経ち、人々の意識も大きく変わりました。今ではiPhoneに限らずホームボタンのないスマホが主流となり、ホームボタンは要らないという人が大半を占めるようになりました。
もちろん、現在はコロナ禍という時世から、マスクをしたままでは使いづらい顔認証システム(iPhoneのFace IDなど)への不満から、指紋認証システムの復活を望む声は多数あります。
しかしながら、それはホームボタンの復活を望む声とはイコールではありませんでした。単にマスクをした生活でもスマホのロック解除を簡単に行えるようにして欲しいというだけであり、
「Androidスマホのように画面内指紋認証をどうして積まないのか」
「せめてマスクしたままで顔認証を普通に使えるようにしてくれ」
こういった意見が大勢であるように思われます。
こういった生活スタイルの変革を伴うテクノロジーの進化の過程で、人々が従来からの生活やテクノロジーの「作法」にこだわり、もしくは捨てきれずに反発するというのを、コラムを連載する中で何度も見てきました。
それは決して不思議なことではなく、むしろ非常に理解できる思考です。筆者もスマホアプリのUIが突然大きく変わった時など、「どうしてこんなに使いづらくしたんだ」と愚痴をこぼすことがあります。
ですが、その愚痴をこぼすほどのUIの「改悪」も、2週間もすればすっかり慣れて気にならなくなります。結局、人は自分が思っているよりも環境の変化に強く、しかも学習能力が意外と高いものなのです。
こういった経験やコラムへの反響を何度も見てきたことで、何が本当に便利でその変化がもたらすメリットとは何だろうかと、素直に考えられるようになったのです。
そしてその素直さは、新たなテクノロジーやサービスについてコラムを書く際の視点の広がりを筆者に与えてくれました。
■気付きから確信へ
時系列的には前後しますが、ホームボタン同様に人々の反発や反論の声が非常に大きかったのは、完全ワイヤレスイヤホンのススメを執筆した時でした。
【過去記事】秋吉 健のArcaic Singularity:音楽を“着る”というパラダイムシフト。完全ワイヤレスイヤホンの魅力を技術の進化や利用者心理の変化から考える【コラム】
この時の反論ぶりは、ホームボタン以上だったことを思い出します。
「ワイヤレスなんて音質が酷すぎて使う気になれない」
「イヤホンごときに充電とかあり得ない」
「イヤホンジャックをなくしたAppleとiPhoneは最悪の決断をした」
正直、商業媒体の記事には書けないような、さらに酷い言葉が大量に並んでいたほどです。
それでは、現在の人々のイヤホン利用状況やその印象はどうでしょうか。
マイボイスコムが2021年8月に調査した「ワイヤレスイヤホン・ヘッドホンに関するアンケート調査(第2回)」によれば、音楽を聴く手段としての利用では有線タイプのイヤホンが未だに主流ではあるものの、2018年のアンケート調査と比較して有線タイプが減少し、ワイヤレスタイプが増加しています。
さらに年代別では、若い世代ほど完全ワイヤレスイヤホンの利用率が高く、年代による格差が大きくなっているとの報告が付記されています。
完全ワイヤレスイヤホン利用者のリピート利用意向でも8割強と高く、ネット上でよく見る「一度使ったら手放せない」という意見とも合致が見られます。
2018年~2019年あたりには中国メーカー製の安価な完全ワイヤレスイヤホンが次々に登場し、さらにソニーやBOSEといった音質重視の高級な完全ワイヤレスイヤホンを製品化するメーカーも人気を伸ばし始めます。
これによって世間では完全ワイヤレスイヤホンブームが生まれ、一気に普及が進みました。今では首都圏の電車に乗ると、有線イヤホンを使用している人のほうが少ないのではないかというほどです。
ホームボタンの時と同様に、人は新しいテクノロジーに戸惑い、現在との違いを見つけては何かと不満を言いたくなるものです。しかしながら、新しいテクノロジーがただの代替品ではなく新たな生活スタイルや便利さを与えてくれるものだと気がついた瞬間に、人は変わることができます。
筆者は上記のコラムを「音楽を着る」という視点でまとめました。有線イヤホンでは得られなかった発想と使い方を完全ワイヤレスイヤホンに見出したからです。そして実際、そのように使われ始めています。
音楽に心酔するための有線式。音楽を身に着けるための完全ワイヤレス。単なる代替品ではなく、それぞれの長所を見いだせるようになって、はじめてテクノロジーに人々の発想が追いついたと言えるのかも知れません。
■思いがけない賛同を得た物理キーボード不要論
筆者は時々、このように尖った視点(もしくはかなり一般的ではない視点)から俯瞰したコラムを書くことがあるため、その内容にも批判を受けることがありますが、次にご紹介するコラムではひたすらに賛同や納得したとの意見をいただき、逆に面食らってしまった記憶があります。
【過去記事】秋吉 健のArcaic Singularity:誰が為にキーは鳴る。UMPCなどの小型モバイル機における物理キーボードの存在価値について考える【コラム】
コラムでは小型モバイルノートPCなどに搭載されがちな、変則的な配列を持つ物理QWERTYキーボード(物理キーボード)に焦点を当て、「変則キーボード不要論」と題して、現代のモバイルデバイスにキーボードは不要なのではないかという理由を並べました。
当然筆者は「また無茶苦茶な暴論を並べてる」と批判されるものと覚悟していましたが、意外にも
「物理キーボードは要らないよね」
「フリックで十分」
「キーボード付きスマートフォンは使う気になれない」
このような意見が多く、とくに「フルサイズでもなく変則配置にするくらいならキーボードは必要ない」という意見への賛同が多かったことを記憶しています。
そもそも、本来あるべきQWERTY配列やJIS配列を崩してまで物理キーボードを搭載するというのは、技術的過渡期の産物であることを意味しています。
変則的にしてでも物理ボタンを搭載しないことには入力方法がなかった時代だからこそ、こういったキーボードが必要だったのであり、ソフトウェアキーボードやBluetooth接続タイプの扱いやすいフルキーボードが存在する現在、こういった変則的な配置の物理キーボードを敢えてモバイルデバイスに搭載するメリットが非常に薄いのは間違いないでしょう。
キーボード不要論に批判的な意見が少なく賛同する意見が多かった理由の1つには、PCの不人気から物理キーボードがこれまで人々にあまり利用されず、携帯電話(フィーチャーフォン)やスマホに慣れ親しんできた人々が多いことから、そもそも物理QWERTYキーボードの便利さを知らないという点もあると考えます。
物理キーボードは使いこなせば驚くほどに便利な入力デバイスです。古くは機械式のタイプライターから始まり、現代に至るまでビジネスシーンの最前線で使われ続けていることを考えれば納得です。
しかしながら、そもそもその文化や作法に触れていない人々が多いからこそ批判も少なかったのだと感じるのです。
「知らないことは分からない」……当たり前ですが、それはテクノロジーの進化やパラダイムシフトにとって意外と重要なファクターであったりします。
■人は変化を恐れる
最後に、読者から「暴論だ」と痛烈に批判されたコラムを挙げておきましょう。つい最近のコラムとなりますが、スマホの物理ボタンは不要なのではないかという論評を展開した時のものです。
【過去記事】秋吉 健のArcaic Singularity:スマートフォンにボタンが要らない10の理由。技術的進化の停滞を打ち破る新たな可能性を探る【コラム】
批判は想定していた通りでしたが、その大きさは想像以上でした。とは言え、その批判の大きさもホームボタンや完全ワイヤレスイヤホン、そして物理キーボードへの人々の反応を精査すれば理解できるところです。
人々はスマホに残された数少ない物理ボタンに慣れ親しみ、それがないと困るほどに活用してきたからです。言ってしまえば、ホームボタン廃止への批判をさらに強くしたようなものです。
「音量調整ボタンをなくすとか正気か」
「物理ボタンでできることをなぜソフトウェアでやる必要があるのか」
「物理ボタンをなくして冗長性を失わせるなど愚の骨頂だ」
これらは実際にTwitterなどでいただいた批判の一部です。個人的には、ホームボタンやイヤホンの件以上に、日本に初めてiPhoneが登場した時に「テンキーがないとかあり得ない」、「ソフトウェアキーボードなんて使いづらいに決まってる」と批判していた人々を思い出しました。
■物事をシンプルに考えよう
なんでも切り捨てて新しいアイデアに飛びつくことが素晴らしいとは、筆者も考えていません。
例えば3Dテレビは「絶対に流行らない」と筆者も痛烈に批判し続けてきましたし、xR技術(とくにVR)についても「重たいヘッドマウントディスプレイを利用するうちは流行らない」と断言し続けています。
しかしながら、そのようにデジタルデバイスやテクノロジーについて真剣に考えていると、ある特定のアイデアや技術に「これは……」と感じることがあるのです。些末ながらも、これがいわゆるガジェットライターとしての勘なのではないかと感じることがあります。
もちろんそれは単なる思いつきや漠然とした印象の話ではなく、長年コツコツと積み重ねてきた取材と勉強で得た、テクノロジーや消費者心理についての知識に裏付けられたものです。
一言で言ってしまえば、3DテレビやxRデバイスには簡便さを感じませんでしたが、スマホのホームボタン排除やイヤホンのワイヤレス化には簡便さを感じるのです。
人は簡単なものに惹かれます。かつて豆粒のように小さな物理キーボードを並べたスマートフォンが流行らず、物理キーボードを否定したiPhoneは流行るどころかモバイルデバイスの世界でパラダイムシフトを起こし、携帯電話の常識を一変させてしまったことが何よりの証左です。
中には未だに「iPhoneは情弱専用機」、「iPhoneはらくらくスマホ」と揶揄する人もいますが、むしろそれくらい簡単かつ単純であることが、テクノロジーの進化と普及には重要なのだと考えるところです。
筆者はこれからも恐らく、無駄に尖った意見を「天の邪鬼なやつだ」と言われながらも書き続けるでしょう。
それは単なる逆張り精神でも意固地になっているからでもありません。物事をひたすらシンプルに捉えたらどう発想できるだろうかと、常々考えているからです。
ホームボタンは必要だったのか?イヤホンが有線である必要は?物理キーボードは必要なのか?今のテクノロジーなら、これらをもっと簡単な方法へと代替していくことが可能なのではないか?……
他人とだいぶ異なる感性を持つがゆえに社会の歯車にはなれなかった筆者ですが、そんな筆者だからこそ俯瞰できる世界はあると信じています。
そんな偏屈なガジェットオタクのコラムですが、これからも「また変人が何か言ってる」程度でお付き合い頂ければ幸いです。
記事執筆:秋吉 健
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