デジタルスキルの「慣れ」について考えてみた!

先日、仕事・私事でフル活用している自宅のメインPCをWindows 11へアップデートしました。Windows 11が安定するまでは自動アップデートされないようにとUEFI(BIOS)からCPUのセキュリティ設定(TPM設定)を変更していたのですが、いよいよ仕事的にも使用感を知っておかないといけない段階となり、半ば渋々のアップデートでした。

Windows 11はとくに致命的な不具合もなく(後に細かなバグは見つけているものの)非常にスムーズな環境移行で個人的には満足していますが、右クリックメニューやタスクバーのUI変更には多少戸惑い、未だに慣れない操作もいくつかあります。

デジタル機器のみならず、普段使っている道具の使い勝手が変わることに大きな抵抗を感じる人は少なくないはずです。そしてこの「慣れ」への依存がデジタル機器を使いこなせるかどうかのデジタル・ディバイドの原因にもなっています。

道具に慣れることは悪なのでしょうか。慣れが及ぼす弊害に人はどう対応していけば良いのでしょうか。感性の原点からテクノロジーの特異点を俯瞰する連載コラム「Arcaic Singularity」。今回はデジタルスキルの習熟における「慣れ」の問題を考察します。

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道具の作法は常に進化する。人はどこまで進化に対応できるだろうか


■「慣れ」から脱することができない私たち
MMD研究所が2月24日に公開した「従業員からみたデジタル課題に関する実態調査」によると、「業務のデジタル化についていけているか」という設問に対して「ついていけている」「どちらかというとついていけている」と答えた人の割合は合計で42.5%となっており、「どちらとも言えない」以下、ついていけていないと感じているひとの割合の合計57.5%にかなり差をつけられています。

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「どちらとも言えない」は、デジタル化についていけていない部分があると捉えておくべきだろう


「業務のデジタル化で苦労していること」の項目を見ると、「慣れたやり方から移行するのが大変」がトップとなっており、しかも2位以下に10%以上も差をつけています。

つまり、人々はデジタル機器(電子機器)の使いこなしや知識の習熟よりも、これまで行ってきた使い方の「作法」から脱出できないことへの不安が最も大きいのです。

例えば筆者も、新しい作法を覚えることへの抵抗感こそ少ないものの「慣れるまでが大変」と感じている1人です。

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3人に1人は慣れたやり方からの移行に不安を感じている


Windows 11でコピー&ペーストを行う際に右クリックメニューから選択しようとすると、「コピー」「貼り付け」などのような文字による表記は1階層下に隠されてしまい、右クリックのみで見える範囲では分かりづらいアイコンにされてしまいました。

おかげで右クリックメニューを開くたびに「コピーは……ああそうだ、文字じゃなかったアイコンになったんだった……ええと、どのアイコンだ……」と目が泳ぐのです。

これも恐らく数週間で「慣れる」ことではありますが、本来必要のない無駄な労力を使っているように感じてしまう作業ではあります。

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20年以上も大きな変化のなかったUIが変更されたのだから、戸惑うのも当然と言えば当然である


■世代間デジタル・ディバイドよりも深刻な勉強意欲の個人格差
ここで重要なのは、UIや使い方の変化に慣れるかどうかではなく「慣れるために勉強することを苦にしないかどうか」であると筆者は考えるところです。

MMD研究所の調査に目を戻すと、「デジタルスキルを勉強しているか/デジタルスキルに興味があるか」という項目では、68.8%もの人々が「興味がある」と答えている一方で、「勉強している」と答えた人は僅かに31.5%でした。

興味はあるが勉強はしたくない。そんなワガママな……と思うかも知れませんが、これが現実です。

初めから「興味がない」と言い切っている人はむしろ潔いばかりですが、興味はあっても新しスキルや作法を身につけるための努力はしたくない、あるいは新しいデジタルスキルも今の作法で引き続き使えたら良いのにと感じている人が3割以上もいるということです。

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筆者はこの調査結果に物凄いリアルさや人間臭さを感じた


この「興味はあるが勉強はしたくない」、「そもそも興味がない」という層が合計で6割程度存在するという事実が、デジタル・ディバイドの1つの要因であることは間違いありません。

これは企業のみならず、すべての状況や世代層に当てはまることだとも感じます。デジタルスキルの習熟が大変だと感じつつも興味を持って率先して勉強を行う人々と、そうではない人々。その差は当然ながら年月とともに開く一方です。

これは世代格差ではありません。個人間の格差です。社会基盤の大半がデジタル化された現代社会において、これは由々しき事態であるとも考えます。

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日々刻々と変化し進化していく社会と、どう向き合うか


先週のコラムで「世代間のデジタル・ディバイドは世代交代が進めば自然と埋まっていくものかも知れない」と語りました。

しかしながら、ことデジタルスキルの習熟に関しては、放置していてはどんなに世代が進もうとも決して埋まる差ではなく、むしろ放置するほどに開いていく格差であるという強い危機感があります。

今後ますます社会のデジタル化と新たな作法が大量に登場することが確定している中、その習熟に積極的ではないというだけで社会の変化から取り残される可能性が非常に高い時代へと突入しつつあるのです。

【過去記事】秋吉 健のArcaic Singularity:チャレンジを恐るるなかれ!企業内デジタル・ディバイドの実態から経営者や社員が取り組むべき真の課題を考える【コラム】

■「慣れる」ことのメリットとデメリット
厄介なことに、仕事をする上での業務効率化や私生活におけるQOL(Quality of Life)向上は、すべて「慣れ」によって達成されます。

オフィスアプリの使い方に慣れ、電子マネーの使い方に慣れ、スマート家電の操作に慣れ、それらデジタル家電やオンラインサービスに囲まれた生活に慣れることで、現代の私たちは生きています。

そもそもスマートフォン(スマホ)ですら、毎年大量に追加される新しい機能やUIに慣れてこそ使いこなすことが可能になり、仕事も私生活も効率良く快適な環境を構築できているのです。

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便利で快適な生活の裏には、膨大な量の「慣れ」が存在している


それでは、デジタルスキルに慣れるための勉強とはそれほどまでに努力しなければいけないことなのでしょうか。筆者はそうは考えません。

その非常にシンプルな答えは子どもたちにあります。子どもは何の先入観もなく道具に触れ、興味の向くままにいじり、作法を独学で覚えていきます。そこに「勉強をしなければ」などという気負いや不安はありません。単に「触ってたら覚えた」くらいのものです。

大人である私たちが思い出すべきはそこです。「難しそうだから」、「今使っているものを捨てたくないから」と理屈を重ねるのではなく、まずは触ってみることです。そしてそれを勉強と思わず、ゲームや遊びのように楽しむことが重要です。

「慣れ」が知識や無意識からの反復動作による賜物だとするなら、「新たに慣れる」ことの最大の障壁もまた知識や無意識による反復動作です。そこが本当に厄介であり、筆者がWindows 11で右クリックメニューを開いた時に目が泳いでしまう理由です。

しかしながら、厄介な理由さえ理解してしまえば克服することは可能です。なぜ厄介なのかを理解することが、古い慣れを捨て新たな慣れを得る近道だとも考えるところです。

みなさんも子どもたちを見習って、余計な知識を捨てて興味の向くままに「慣れて」みてはいかがでしょうか。筆者は今後もその気持ちを忘れずに、常に新しいデジタルスキルへの挑戦を楽しみたいと思います。

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「慣れる」ことにおいて、子どもたち以上の先生はいない


記事執筆:秋吉 健


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