国産電話機1号機からスマホまで!電話を含む電気通信のさまざまな展示を門司で楽しもう

今、このページをご覧いただいている機械(端末)はなんでしょうか?スマートフォン(スマホ)でしょうか、タブレットでしょうか、パソコン(PC)でしょうか、それともガラケー(フィーチャーフォン)の類でしょうか。

いずれにしろ、何らかの電気通信機器ではないかと思われます。みなさんの手に収まるこれらの通信機器は今ではすっかり身近で我々の生活に密着した道具となっていることでしょう。

そしてそんな情報を送ったり受け取ったりできる“通信”にも長い歴史があり、古くは平安時代の狼煙(のろし)が日本における離れた相手への通信の手段として生まれ、多くの進歩と分岐を経て今日のスマホなどへつながってきました。

というわけで、今回は福岡県北九州市門司にある西日本電信電話(以下、NTT西日本)が運営する電気通信関連の博物館「門司電気通信レトロ館」へ行ってきましたので(筆者の帰省のついでではありますが)、数回に分けて館内の展示の様子を紹介したいと思います。

○はじめに「門司電気通信レトロ館」って何?

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門司電気通信レトロ館の入り口

門司電気通信レトロ館は現在、NTT西日本が管理・運営している主にNTT(旧「電電公社」)の電気通信機器や関連するさまざまな物品の展示を行っている博物館で、その建物は1924年に逓信省(1949年まで存在した郵便と通信全般を監督する省庁)が「門司郵便局」(兼「電報電話局」)として竣工した建物です。

また一時期はNTT西日本の営業所としても使われ、第二次大戦時の空襲にも耐えてきた歴史の長い建物だったりします。前述通り、現在は博物館として使われており、当時使われてきた一部の電話交換機や電話機が動態保存されています。なお、入場料は無料となっています。

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館内の様子


○通信の歴史と日本の電話機

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日本の電気以前の通信手段

いよいよ本題に入りますが、まずは電気通信登場以前の日本の通信手段を紹介するパネルがありましたので紹介します。腕木信号は日本では鉄道での導入にとどまる程度でしたが、手旗信号は現在でも海上自衛隊やボーイスカウトなどではメジャーな通信手段として利用されているほか、伝書鳩についても電気通信が発達する以前における最速の通信手段であったこともあり、近年まで現役の通信方法として利用されてきました。

○家庭用・卓上用電話機展示

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国産1号電話機

これが日本で初めて作られた電話機です。グラハム・ベルがアメリカで発明した電話機を日本へ輸入し、それをベースに製作したものの、通話品質が良くなく、本機の実用化はされなかったそうです。

こうした家庭用の電話機(および、それ以外の通信機器)の展示の紹介がまずありましたが、もちろん、家庭用とはいえ、当時としては一部の裕福な人や企業・政治家の方などが中心で一般家庭に設置されていることは稀だったでしょうけども。

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初期の電話機たち

画像内左上にあるのがグラハム・ベルが発明した電話機(の復元モデル)で、右側の2機は実用・製品化され、実際に利用されてきたものです。特に画像内右下のガワービル電話機は受話口がヘッドホン型になっているのが特徴的です。

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明治時代中期~後期との昭和初期の電話機

この辺りになるとひと目見て電話機とすぐにわかる形状をしています。とはいえ、この時代は電話交換士による手作業での接続のため、下の段の右端にある600型卓上電話機(詳細は後述)を除いて(発電用のハンドルはありますが)ダイヤルがありません。

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昭和中期~後期の電話機(600型電話機シリーズ)

600型電話機は家庭用の卓上電話機においてのスタンダードなモデルで、この辺りになると昭和の中ほどから後期に生まれた方は見覚えのあるものがあるかもしれません。実際、筆者が小さい頃は600型のアイボリーが家にありました。

ちなみに余談ではありますが、この600型電話機以降の家庭用卓上電話機、電話線を切って変換コネクタを噛ませる(要電話工事担任者の資格)と、ひかり電話のルーターに接続して普通に電話機として利用できます。これらの電話機をアンティーク的にこれからも使っていきたいという方はご参考までに。

※必要な資格について「電気工事士」と書いておりましたが、正しくは「電話工事担任者」が必要な資格となります。訂正させていただきます。

この頃になると「電話加入権」(NTT東西で家庭用電話機を設置するのに必要な今でも存続している制度)のハードルもそれほど高いものでもなくなり、大抵の家庭で卓上電話機が「一家に一台」設置されていました。現在もこの制度はあるものの、携帯電話の普及やひかり電話の登場などにより、電話加入権による家庭用卓上電話の設置は減少傾向にあります。

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内線機能を搭載した「ホームテレホン104型」

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小型化しデザイン性の高くなった「ハウディホン」

昭和も後半に入ると、ダイヤル式のほかにダイヤルボタンが我々もすっかり見慣れたテンキー(0~9、#、*のボタン)の電話機が登場してきます。また家庭内のインテリアの中に溶け込めるようなデザインのものも多数、登場してきています。

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数はごく少ないながら、電電公社が輸入販売していたものもあったようです

というわけで、今回は日本における電話機のスタートから近代の家庭用電話機の展示までを紹介しました。後編では家庭用ではない電話機や変わり種の電話機の展示などを紹介したいと思います。


<おまけ>
留守番電話機能誕生秘話……家庭用の電話機はもちろん、携帯電話・スマホで利用できるサービス・機能としてすっかりお馴染みの「留守番電話機能」ですが、実はこれを発明したのは日本人なのです。これが生まれるきっかけになったのは実は意外とどうしようもない理由だったりします。

それは……。

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展示室の片隅にある引き出しつきの卓上電話機にその答えはありました


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その理由は「借金取りからの電話をとりたくなくて発明された!」

なんともしょうもない理由な気もしますが、当人にしてみれば切羽詰まった中で必要になったからこそ生まれた機能だったのでしょう。

ちなみに発明者の橋本和芙氏はナンバーディスプレイの生みの親であったりもします。というわけで、今回の展示館レポート前半はここまで!次回をお楽しみに!!

記事執筆:河童丸


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門司電気通信レトロ館(NTT西日本)