Twitterのフリート機能の終了について考えてみた!

先週、ソーシャルネットワークサービス「Twitter」界隈で少々ざわつくニュースが流れました。既報通り、Twitterの投稿機能の1つ「Fleets(フリート)」が2021年8月3日(米国時間)で終了するというものです。

スマートフォン(スマホ)からTwitterを閲覧しているみなさんならお馴染みとなっていたフリート機能ですが、登場からわずか9ヶ月ほどでその幕を閉じることとなります。

理由や原因はさまざまに考えられますが、Twitterの公式ブログによると、「フリートをきっかけに新たにTwitterで会話に参加する人の数は、私たちが望んでいたようには増えていない」というのが最大の理由だったようです。

Twitterはフリートに何を期待し、何が期待はずれだったのでしょうか。またTwitterユーザーは何故フリートを「使わなかった」のでしょうか。

感性の原点からテクノロジーの特異点を俯瞰する連載コラム「Arcaic Singularity」。今回はTwitterのフリート機能の失敗がもたらした教訓やオンラインコミュニケーションのあり方について考察します。

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フリートとは一体何だったのか


■フリートは「普段言葉を発しない人々」にこそ使って欲しかった
フリート機能については本連載コラムでもいち早く紹介し、そのメリットや潜在的な価値について解説したことがあります。

【過去記事】秋吉 健のArcaic Singularity:フリートってなんだ?Twitterに突如現れた“謎”の新機能をこれまでの利用実態や存在意義から考える【コラム】

この時のコラムでは、人々がTwitterを個人の情報発信の場ではなくニュースソースやニュースを閲覧するための場として利用している実態を取り上げ、フリートがTwitterのタイムラインとは隔離された新たな「個人の表現の場」として活用されるのではないか、という話や、企業による宣伝にも活用できる点を列記しました。

実際、その後筆者のTwitterのタイムラインではイラストレーターやゲームユーザーが、普段はタイムラインに流さないような何気ない日常を投稿したり、企業が自社イベントの宣伝に利用するなど、筆者が予想していたような使われ方が多く見られました。

しかし、Twitterはそれを「よし」としなかったのです。

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筆者の「カピバラになりたい」願望は受け入れられなかった……?


Twitterは公式ブログでこのようにも書いています。

「フリートは、ツイートするのをためらう利用者の背中を押すために開発されました。しかし、蓋を開けてみると、すでにツイートすることを楽しんでいる人たちが、自分の投稿を広めたり、他者と直接やり取りするために利用していることがわかりました。私たちは、人々がもっと気軽にTwitterに参加できる別の方法を探っていきます。日常的にツイートしている人のためには、Twitterをよりよいものにすべく力を注ぐことが重要だと考えています。」

非常に端的で分かりやすい表現だと感じます。

公式ブログの冒頭に書かれているように、Twitterはユーザーに「もっと気軽にTwitter上の会話に加わってほしかった」のであり、「すでにツイートすることを楽しんでいる人たち」……つまり、普段から自ら進んで情報を発信している人々ではなく、Twitterをニュースメディアのように閲覧しかしていない人々に活用してもらうことを望んでいたのです。

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言われてみれば、フリート利用者はTwitterのヘビーユーザーや企業(個人業含む)ばかりだ


これは別に、普段からTwitterを使い倒しているヘビーユーザーや企業を蔑ろにしているとか、排除したいという意味ではないと筆者は考えます。

例えばそういった人々の場合、そもそもフリートがあろうがなかろうが情報は常に発信し続けており、一定期間見てもらいたい投稿であればプロフィールに固定したり、モーメント機能によってアーカイブするなど、いくつもの手段を使いこなしています。

普段はツイートしない日常について利用してもらいたい、という点については、そこまで厳密に使い分けている人はそれほど居ないというのも筆者の感覚的な感想です。イラストレーターやウェブライターであっても自分の仕事のことばかり書いているわけではなく、昼食やペットの写真を投稿していることは多くあります。

つまり、そういったヘビーユースにとってフリートはあってもなくても問題のない機能であり、「新しいおもちゃが増えた」程度の感覚であったことは事実でしょう。

Twitterが欲しかったのはそういった反応と使い方ではなく、今までTwitterをメディア的に利用し、自ら投稿することを躊躇していた人々に投稿してもらうことでした。そしてその目的にフリートは正しく機能しなかったということなのです。

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人々は想像以上に言葉を発しなかった


■Twitterを蝕んだ「議論」の闇
なぜ多くの人は自ら情報を発信せず、自らの言葉でネット上へ語りかけないのでしょうか。

筆者のように「発信することが大好き」な属性を持つ人間にはよく理解できないというのが正直なところですが、そのヒントとなりそうな意見を、先日某巨大掲示板で偶然見かけました。

「Twitterはなぜインスタ(Instagram)になれないのか」といった趣旨のスレッドへの書き込みに、「Twitterは議論する場だから」というものがあったのです。

いやいや……Twitterは議論する場所ではないだろう、と当然すぐに思いましたが、ハッと気付かされたのです。Twitterを議論する場だと思っている人々は少なくないのではないか、と。

筆者のようにTwitterを黎明期から利用している者であれば、Twitterとは日常のどうでも良いことをつぶやく場であり、昔であれば「おはだん」「渋谷なう」「お仕事わず」と、たった一言つぶやくだけの緩いコミュニケーションツールでした(そもそもツイートとは「つぶやく、さえずる」の意味)。

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このクジラを知るユーザー世代とそれ以降のユーザー世代では、恐らくTwitterの利用方法や捉え方は大きく違う


ところが、Twitterの利用者が増加し、コミュニティが形成され、大企業が宣伝や情報発信に活用するようになり、一部のクリエイターやインフルエンサーに話題が集中するようになるにつれ、Twitter上ではしばしばイデオロギーや社会問題についての議論が勃発するようになりました。

そうした議論は年々増加しているようにも感じられ、5~6年前からは特定の思想を持つ人々同士がお互いの思想を糾弾するような対立的な様相を、さまざまなジャンルやクラスターで散見するようになったのです。

実際、筆者もそういった対立思想に飲み込まれそうになったことが多々あり、現在は用心してできる限り傍観するよう努めていますが、そういった努力や気を使わなければならないほど、現在のTwitterのタイムラインが個人の思想やイデオロギーのぶつけ合いの場となっているのは否定できません。

極端な話、議論にすらなっていない罵詈雑言の浴びせ合いのような状況すら頻繁に起こります。このような惨状を見せつけられてしまっては、人々は自らの言葉を発することに躊躇し、Twitterを議論の場であると勘違いしてしまうのも無理はないと感じるのです。

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人種差別、宗教対立、政治と利権、環境問題。さまざまな社会課題や犯罪がニュースとしてTwitter上に溢れ、多くの人々が議論を交わすようになった


イデオロギーや価値観の対立は、多くの人々にとってエンターテインメント的な側面を持つために容易に広がりやすく、そして熱狂させやすいのです。

その一方で、「渋谷なう」的な当たり障りのない日常のつぶやきは激減しました。その一言は「いいね」を貰えるわけでもなく、議論を呼ぶわけでもないからです。

承認欲求や自己顕示欲を満たすでもなく、当然対立も生まないどうでもいい一言をつぶやく場所であったはずのTwitterは、10年以上前に消え去っていました。

そのような場所に、どのようにして「日常」を取り戻すのか。その模索の1つがフリートであり、フリートはその役目を果たせなかったのです。

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筆者は10年以上、起床時に毎日「おはよん」と一言だけの挨拶をし続けている。それは筆者にとっての日常であり、Twitterは日常の一部だからだ


■フリートの失敗が教えてくれた「気付き」
公式ブログにあるように、Twitterはタイムライン上で日常をつぶやきやすくなるようにフリートの機能の一部を通常のツイートへ追加・統合しつつ、もう1つのコミュニティ機能である「スペース」を残すことで、刹那的に流れて消えていくタイムラインと人々がディスカッションやコミュニケーションを深めていく場所の提供を棲み分けしていく考えです。

Twitterがライトなツイートを行う層を増やそうとしている具体的な意図や理由は不明ですが、ビジネス的な観点で言えば、ライト層が利用しない広告収入モデルのオンライサービスに未来がないのは事実です。

ただタイムラインを眺められていても収益につながりません。より多くの人々に積極的に活用してもらってこそ、広告効果も上昇し収益へとつながっていくからです。

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競合するさまざまなオンラインサービスとの激戦を生き残らなければならない


そのためにも、本来想定していたユーザー層が集まらなかったサービスは早々に切り上げ、技術と人材とコストを再集約し、できる限り早く次の一手を打つ必要があります。わずか9ヶ月間でのフリート終了には、そういった背景があります。

フリートの失敗は、壮大なβテストと捉えるならある意味成功だったとも言えます。Twitterを眺めるだけで言葉を発しない人々がいることは各種統計データによって判明していましたが、その人々がどうしたらツイートするようになるのか、フリートは1つの答えを示したのです。

「24時間で投稿が消えるサービスを導入したところで、元々ツイートで日常をつぶやかない人は何もつぶやかない」

これが分かっただけでも大きな進展です。そして公式ブログにも、

「フリートのほとんどは写真や画像などのメディアを含んでおり、人々はTwitterでの会話に手際よく写真や動画を添えて楽しんでいます。近日中に、全画面カメラ、テキスト形式オプション、GIFステッカーなど、フリート作成機能を取り入れてアップデートしたツイート作成画面や、カメラ機能のテストを開始する予定です。」

このように書いている通り、フリートで日常をつぶやいていた人々がどのような使い方をしていたのか、気軽に日常をつぶやくために何が必要なのかが分かったことも大きな収穫です。

みなさんは、Twitterで日常をつぶやいているでしょうか。もしつぶやいていないとしたら、つぶやかない理由とは一体何でしょうか。

フリートの「失敗」がTwitterやユーザーの私たちに与えた教訓や気付きは、決して小さなものではなかったように思います。

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人はもっと、ゆるくつながることを思い出したほうがいい


記事執筆:秋吉 健


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