スマホの進化と未来について考えてみた!

このコラムを書いている9月16日、Appleの新型スマートフォン(スマホ)「iPhone 14」が筆者のもとに届きました(もちろん今回も自腹で購入したもの)。

奇しくも本連載コラムは今回で節目となる250回を数えます。コラムを書き始めたきっかけは、連載第1回の冒頭に書いた通りに「人の感性の原点的なところから、テクノロジーが持つ美しさや素晴らしさを探ってみたり、道具本来の存在意義のようなものを考察してみてはどうだろうかと思い至った」からですが、手元に置かれた新品のiPhoneを眺めていると、その「道具本来の存在意義」とは何だろうかと強く思わざるを得なくなるのです。

この世にiPhoneが登場して15年。テクノロジー業界のパラダイムシフトと言っても過言ではない大激変が起こり、モバイルデバイスとしてだけではなく、世界の社会構造までもがスマホによって一変しました。

スマホとは何なのか。スマホの次に来るデバイスはあるのか。

感性の原点からテクノロジーの特異点を俯瞰する連載コラム「Arcaic Singularity」。今回は非常に素朴な筆者の疑問と漠然とした予想について書き綴りたいと思います。

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スマホとは何か


■スマホが世界を変え、世界がスマホに最適化された
スマホについて語るとき、前提として「スマホは単なるモバイルデバイスのみの革命ではない」という点を解説しておく必要があります。

例えばスマホ以前の時代の携帯電話やポケベル(ページャー)、電子手帳などは、「デバイスとしての進化」のみの視点で語っても矛盾はあまり生まれませんでした。

日本の携帯電話(いわゆるガラパゴスケータイ=ガラケー)のような恐竜的進化は特殊な例としても、少なくとも海外における携帯電話というものは、本当にシンプルな「通話とメールがメインの端末」だったのです。

だからこそ、ポケベルが携帯電話に置き換わった時も、携帯電話に電子手帳的な機能が追加されたときも、単に「デバイスが進化した(融合していった)」といった程度のインパクトで済み、簡単に切り替えていくことが可能だったのです。

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ガラケーの進化は目覚ましかったが、それは飽くまでも「端末」や「閉じたサービス」としての進化だった


スマホが変えたのは私たちが普段利用する端末だけではありません。その端末で利用するサービスや社会インフラまでもが、すべて変わったのです。

もちろん、その流れはスマホが登場してきた時に確定していたわけではありません。

しかしながら、スマホのシェアが世界的に広がり始め、そこでできることの可能性に大きな価値を見出した企業が次々と斬新なサービスを打ち出してきたことで、世界は徐々に「スマホに最適化」され始めたのです。

筆者がその流れを最初に感じたのは、ウェブサイトの変化であったことを今でも覚えています。

かつてはウェブサイトと言えばパソコン(PC)向けのブラウザ表示に最適化されたものが基準であり、文字のサイズやサイトの幅、カラム構成などすべてがPCでの閲覧を前提としていました。

ところがスマホが普及しはじめると、スマホに最適化されたウェブサイトが増え始めたのです。最初は「そういうウェブサイトも当然出てくるよね」程度にしか考えていませんでしたが、その流れは止まらず、いつの間にかスマホ向けのウェブサイトが主流化していたのです。

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ウェブサイト制作者であれば、スマホの登場でウェブサイト制作がどれだけ変化したのか実感できる人も多いだろう


■スマホが記事の書き方も変えた
例えばこの記事を、わざわざPCで読んでいる人はどれだけいるでしょうか。

ブログニュースメディアであるS-MAXにはアクセス解析のシステムがありますが、その数字を見れば一目瞭然です。2022年8月のブラウザ別アクセス率を見ると、PC(デスクトップ)向けブラウザでのアクセスが13%、モバイル向けブラウザでのアクセスが87%です。

S-MAXの読者が特殊なわけではありません。世界中でほぼ同じような傾向があり、それに呼応するようにしてありとあらゆるウェブサービスがスマホ主体で作られるようになったのです。

筆者の記憶は曖昧ですが、その時期は2014~2015年辺りだったように思います。

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もはやPCからニュース記事を読みに来ている人は超マイノリティになっている


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筆者の曖昧な記憶を裏付けるように、2015年辺りからモバイル版Chromeブラウザのシェアが大きく伸び始めている


記事の執筆においても、スマホユーザーが読みやすい段落表現や文章表現への最適化が求められるようになりました。

記事の内容でも「PCユーザーは比較的難しい文体や技術的な解説でもついてこられるが、スマホユーザーはもっとライトな表現と分かりやすい言葉を使い、短く結論から書かないと読んでくれない」と、某社編集部からお願いされたこともあります。

それはスマホユーザーの知識やリテラシーが低いからではありません。スマホによってインターネットを閲覧する人の数が爆発的に増加し、PCを使いこなしていた層以外の幅広い層にも訴求するようになったからです。

あらゆるユーザー層に向けた記事にするには、より汎用的で分かりやすい表現や、小さな画面でも読みやすく、少ない情報表示量でもすぐに理解できる簡潔さが求められたのです。

つまり、筆者が書いているこのコラムなどは冗長で回りくどく表現も古臭いため、スマホユーザーの大半には読まれていない(途中で読むのをやめられてしまう)ということでもあります。

それでも、250回も毎週欠かさず掲載を続けてくれたS-MAX編集部には感謝しかありません。

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敢えて時代に逆行した長文記事を書き続けるのも、そろそろ厳しいかもしれない


■「ポストスマホ」デバイスは登場しない
このようにして、スマホは人々の生活スタイルや社会インフラまでをも変えてきました。それでは視点を変えて、今後「スマホの次のデバイス」は果たして登場するのでしょうか。

筆者は今のところ、そのようなデバイスが登場することへの楽観的な観測を、まったく持てずにいます。

それと言うのも、スマホに世界が最適化されすぎてしまったからです。スマホが登場する以前の世界では、モバイルデバイスは単なる端末であり、それが多少形態を変えようとも何ら問題はありませんでした。

しかしながらスマホは違います。そこにアプリが存在し、そのアプリによって利用できるインフラサービスやオンラインサービスが存在するため、もしスマホを代替するデバイスが登場するとしたら、スマホでできたことをすべて引き継がなくてはいけないからです。

少なくともスマホは、携帯電話やポケベルや電子手帳で出来たことの多くを引き継ぎ、発展させ、シームレスに繋がり続ける社会を作り上げました。そのスマホの先に「スマホの機能と役割のほとんどを引き継いで、さらに使いやすいデバイス」を想像(創造)できるでしょうか。

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スマホの完全上位互換で尚且つ新たな提案のできるデバイスとは何か


筆者のこの考察は、結局いつも「それは無理だ。できてもスマホの周辺機器となるか、拡張機器止まりだろう」となるのです。

xRゴーグルにしても、ウェアラブルデバイスにしても、それ単体でスマホの代用にはなり得ません。少なくとも現在の技術レベルでは代替できる可能性が見出だせません。もしかしたら、もっとテクノロジーが進化した先であれば可能なのかもしれませんが。

スマホはそのくらい、人々の生活にその機能性や性能を最適化させてきたのです。

ウェブサイトを見る、記事を読む、SNSを使う、写真を撮る、動画を観る、音楽を聴く、ゲームを楽しむ、ショッピングをする、カーナビとして使う、ヘルスケアに活用する、スマートデバイスを操作する、ライフデザインを行う。

すべてが「スマホだから便利だ」と思える形に進化してきたのです。そのスマホ生活に存在する大量の「作法」を、再び1から覚え直すだけの意欲や適応力が人々にあるでしょうか。

ほんの少しアプリのUIが変わっただけでも「使いづらい」、「以前のほうが良かった」と不満を漏らすのが人間です。仮にスマホではない何かにデバイスが変わったとして、どのような反応を見せるのかは想像に難くありません。

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例えばxRデバイスがどんなに使いやすくなろうと、今の技術の延長線上ではスマホの代替にはなり得ないと断言できる


はじめてiPhoneが日本に登場した当時の、一般の人々の反応を筆者は忘れません。「テンキーのない機種なんて使いづらいに決まってる」、「画面を触るなんてあり得ない。指紋だらけになって汚い」。それが単なるデバイス(端末)としてであれば、その反応も納得できました。

しかし今、スマホの評価はデバイス単体で語る時代ではありません。「電子マネー決済ができないと困る」、「家にPCがないからスマホがないと動画を観られない」、「Amazonはいつもスマホで利用してる」、「公共料金の支払いもスマホからLINEでやってる」。便利になればなるほど、スマホは絶対的なデバイスとして今後も存在し続けることになるのです。

そしてスマホは社会インフラと直結しているが故に、デザインやスタイルを変えることすらできなくなっているのです。

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スマホは万能化した代償として「1枚の薄い板状のモノ」というアイデンティティを崩せなくなってしまった


■スマホの未来は停滞か、進化か
2000年代、世界のモバイルテクノロジー業界は、まだ見ぬ未来を創り出そうとあらゆるアプローチを試し覇権を争っていました。しかしその覇権争いも2010年代に入って一気に収束し、「スマホと、それ以外の何か」という図式へと固まっていったのです。

筆者がコラムを書き続けてきた5年弱を振り返っただけでも、スマホの地位を脅かすような技術も発明もありませんでした。飽くまでも「スマホと連携して使いやすい」、「スマホではできない部分を補うデバイス」、このようなアプローチに徹していたように思います。

モバイルライターとしても、テクノロジーを俯瞰して楽しむ一介のギークとしても、そのような状況に落ち着いてしまったことを若干寂しく思うことも少なくありません。

もしもこのコラムがさらに5年や10年続いたとして、500回や1000回まで連載を重ねられたとして、その時コラムの表題に「スマホの時代は終わった。これからは○○の時代だ!」と、人々からの批判を覚悟の上で力強く書ける日が来るのでしょうか。

少なくとも、筆者がそのときも相変わらず読みづらい長文を書いているであろうことは、容易に想像ができます。

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それでも筆者は「スマホの次」を探すため、テクノロジーを追いかけ続ける


記事執筆:秋吉 健


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