PHSの歴史を紐解きつつ未来のモバイルデータ通信を考えてみた! |
既報通り、ソフトバンクおよびウィルコム沖縄は1日、携帯電話サービス「Y!mobile(ワイモバイル)」におけるPHSサービスの新規契約および機種変更の受付を停止しました。なお、現在のところ停波の予定はなく、すでにPHSを利用中のユーザーは継続して利用できるほか、法人向けテレメタリングなども引き続き契約手続きを受け付けています。
過去のものとしてしまっては失礼かもしれませんが、20代以上、特に30代以上の世代にとっては「PHS」という響きは懐かしくもあり、人によっては「まだあったんだ」という驚きのある方もいらっしゃるかと思います。
かくいう筆者も1999年に三洋製「PHS-J80」を購入したのがPHSデビューであり、はじめてのケータイ製品でもありました。その後、10年以上にわたりPHSを愛用し続けてきましたが、残念ながら現在は解約しています。新規受付ができるうちに1回線契約しておけば良かったかな?と、少しだけ後悔しているところです。
PHSの歴史を紐解いていくと、日本におけるモバイルデータ通信の歴史が見えてきます。日本の携帯電話市場においてPHSとはどのような存在だったのでしょうか。感性の原点からテクノロジーの特異点を俯瞰する「Arcaic Singularity」。今回はPHSの昔話を交えながら、これからのモバイルデータ通信について考えます。
■若者とともに成長したPHS
そもそもPHSとはどうして生まれたのでしょうか。日本における「携帯電話」の発祥は自動車に搭載された車載電話にあります。当時は人が簡単に携帯できるような大きさにはできず、また非常に高額な高級品でもあったために車載電話機はリース契約が主体で個人が気軽に購入できるような代物ではありませんでした。
その後ようやく小型化と低価格化が進み始めましたがそれでも1990年代後半ではまだまだ一般に普及するレベルではなく、ビジネスマンが仕事用に利用する程度のものでした。そこで生み出されたのがPHSです。
PHSとは「Personal Handy-phone System」の略称であり、いわゆる携帯電話と電波方式が違うことから「簡易式携帯電話」などと呼ばれていました。この呼称はあまり適切な表現とは言えませんでしたが、高い電波出力で広いエリアを1つの巨大な基地局でカバーする携帯電話に対し電波出力を抑え小さな基地局を数多く設置することで同様の移動体通信を可能としたPHSは端末の小型化や低コスト化に貢献し、安価な端末価格とランニングコスト(月額料金)を武器に、高校生や大学生を中心に一気に普及していったのです。
そしてPHSのもう1つの武器となったのがデータ通信です。1990年代後半の携帯電話は通信方式にPDC(Personal Digital Cellular)を採用しており、主に「通話」での利用を想定した方式であったためにデータ通信にはあまり向かず、NTTドコモのmovaサービスの開始当初は最大9.6kbps(以下、通信速度は全てベストエフォート)、サービス後期でも最大28.8kbpsが限界でした。
それに対しPHSでは当初から14.4kbpsという速度で通信が可能であり、その後もDDIポケットを中心に32kbps、64kbpsと順調に通信速度を向上させながら月額料金定額サービスを開始できたことから、音声通話端末としては価格の下がった携帯電話にシェアを奪われ続けていた2000年代前半になっても、データ通信に強い通信方式としてビジネスマンを中心に人気が継続していたのです。
PHSを支持する層が学生から新社会人へと成長し、その成長に合わせる形でモバイルノートパソコンやネット環境の普及があったこともまた、PHSが生き残れた大きな要因だったのだではないでしょうか。
■衝撃だった「京ぽん」の登場
そして日本の携帯電話市場に大きな衝撃を与えたPHS端末が2004年に登場します。京セラの「AH-K3001V」です。
前述したように当時の携帯電話では非常に低速のデータ通信しか行うことが出来なかったため、その通信速度に合わせたオンラインサービスとして携帯電話の画面サイズや処理性能に特化させた「i-mode」(iモード)や「EZweb」(EZウェブ)といったサービスが普及していましたが、PHSサービスを行う各社にはこういった大規模なエコシステムを構築するだけのシェアも予算的な余裕もなかったことから、逆転の発想で「一般的なインターネットをそのまま閲覧できる端末を作ってしまえばよいのではないか」となったのです。
PHSはすでに64kbpsという通信速度が可能となっており、当時まだ国内で一般的に利用されていた固定電話回線によるモデム通信の速度(33.6kbps、56kbpsなど)や、ISDN回線の速度(64kbps)とほぼ同等の速度が確保できていたことから、PHS端末にパソコン用ウェブブラウザ並のフル性能を備えたウェブブラウザ(フルブラウザ)を搭載し、モバイルノートパソコンなどを持ち歩かなくてもインターネットに接続できるという画期的な端末を生み出したのです。
このAH-K3001Vはデジタルギークを中心に瞬く間に話題となり、京セラ製の電話機(Phone)という理由から「京ぽん」という愛称がユーザー間で付けられ、その名称が一般化し書籍まで複数発刊されるほどの大ブームとなったのです。NTTドコモのiモード端末やKDDIのEZウェブがすでにエコシステムとして巨大な市場を構築していた時期に、一般的には斜陽市場と目されていたPHSの端末が注目されるという状況そのものが異常事態とも言えるものでした。
■PHS苦難の歴史
しかしPHSの苦戦はその後も続きます。京ぽんを発売したDDIポケットは当時KDDIグループでしたが契約者数の減少などによる業績悪化からグループ離脱を余儀なくされ、外資系ファンド企業であるカーライルグループや京セラなどの子会社化を経てWILLCOM(ウィルコム)として再出発します。
当時ほかにもアステルやNTTパーソナルといったPHSサービスが存在していましたが、いずれも業績悪化によって事業終了へと追い込まれていきます。ウィルコムのみが低ランニングコストやデータ通信端末を武器に生き残り、紆余曲折を経て現在のソフトバンクグループの「Y!mobile」(ワイモバイル)へと転身していくのです。
PHSがシェアを落とし、移動体通信サービスとしての覇権争いに破れた理由は数多ありますが、しかしモバイルデータ通信の歴史に大きな影響を与えその進化に貢献してきたことは間違いありません。
京ぽんに始まるフルブラウザ搭載PHS端末の系譜はその後「W-ZERO3」という端末を生み出します。タッチパネルとフルキーボードを搭載し、当時で言うところのPDA端末にPHS通信機能を搭載したような端末でしたが、それは後に「スマートフォン」と呼ばれるようになります。現在では一般的にスマートフォンと言えばアップルのiPhoneブランドが最初であるかのように語られることも少なくありませんが、実際はフルキーボードを備えたモバイル通信端末を指す言葉としてノキアなどの端末を呼称する際に用いられた用語なのです。
そんな旧来型のスマートフォンもiPhoneによって駆逐され、携帯電話の通信方式がPDCから3Gへ、そして4G(LTE)へと進化していく中でPHSも最大128kbps、256kbpsと通信速度を上げるなどの対抗策を打ち出したものの、最大数百Mbpsでの通信が可能なLTEに対抗できるはずもなく、また料金面でもアドバンテージが薄くなり徐々に時代に取り残されていくことになります。
考えてみれば、携帯電話がその通信方式すら大きく入れ替え続けて進化してきた十数年の間、全く変わらずPHSという方式のまま戦えていたこと自体が奇跡というほかありません。
PHSが低価格だったからこそ携帯電話も価格競争を仕掛け、データ通信に強かったからこそ高速な通信方式への切り替えを推し進め、市場競争の名のもとに切磋琢磨した結果が「ガラパゴスケータイ」とまで呼ばれたほどに高機能化・高性能化した携帯電話端末の登場だったのではないでしょうか。PHSがなければ日本の携帯電話の進化はもう少し遅かったのではないか、とまで考えてしまうのは少しPHS贔屓すぎるかもしれませんが……。
■そしてPHSはIoTの世界へ
日本のみならず世界のモバイル業界は今、4Gを超えて5Gの世界へと進もうとしています。5Gとは4Gをリプレースするものではなく、4G技術を取り込み新たな技術と組み合わせてさらに便利な通信環境を生み出すための「仕組み」です。
圧倒的な超高速通信、超大容量、そして超低遅延というSFの世界を具現化したような技術が登場する時代に、それでもPHSが現役であり続ける理由とは一体何でしょうか。そこには「IoT」や「センシング」といったキーワードが存在します。
低コストの運用が可能で、なおかつ低消費電力で多数の端末を同時に管理しやすいPHSの利点を活かし、PHSはIoT向けセンサーの通信モジュールとして多数の企業に採用されています。その採用数は減るどころか現在も増加しているほどです。また多数の小さな基地局をメッシュ状に配置し大容量の通信インフラを構築する基盤技術とそのノウハウは5Gのインフラ整備にも大いに活かされるでしょう。
純国産の移動体通信技術としてPHSが生まれて20余年。基幹となる通信技術をほぼ変えることなく続いたその歴史は、少なくとも日本の通信インフラを支えてきた重要な技術として十分に誇れるものであったと考えます。一般向けの新規受付や機種変更が停止されたとは言え、IoT向け通信モジュールが5Gに全てリプレースされない限り停波はありません。この先PHSがどう利用され、どこまで人々の生活を支えていけるのか、モバイルライターとして、そしてかつてPHS技術を愛したモバイルギークの1人として見届けたいと思います。
記事執筆:秋吉 健
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